フェザータッチ・オペレーション
<6>





扉を開けた瞬間、薔薇の香りのコロンがふわりと漂った。
何やら無駄にきらきらしたオーラが透けて見えるその訪問者に、 ギルベルトは露骨に顔をしかめる。その苦々しい顔に、むしろ楽しそうにふふんと笑うと、 彼はよっと軽く手を上げた。
「何しに来たんだよ、てめえは」
御挨拶だなあ。 辛らつな言葉をさらりと受け流し、キューティクルたっぷりの金色の長髪を、 さらりとかき上げる。ばちこーんとウィンクされ、ギルベルトは更にげんなりと顔を歪めた。
「たまたま近くまで来たからね」
久しぶりに、顔を見せに来たって訳。 そんなにつれなくしないでよ、もー、お兄さん泣いちゃう。
相変わらずの悪友の絶好調ぶりに、付き合ってられるかとかくりと首を落とす。
俯いた視線の先、寄り添うように立つちんまりとした姿に、おっと目を見開いた。
「何だ、お前も一緒かよ」
久しぶりだな。下から睨みつけるような翡翠色の瞳は、 ギルベルトを見るとぷいと反らされる。人見知りは相変わらずのようだ。
同行者とはまた違った、きらきら光る金の髪を、ギルベルトはわしゃわしゃと撫でた。





来客がいるのだな。階段を降りながら、菊は応接室のある方へと目を向ける。
良くあることだ。貿易業を営むギルベルトには、仕事に関する来客が多い。 だから今日も大切な仕事の話をしているのだろうと思った。
今日は珍しく、菊は一人であった。ルートヴィッヒはエリザベート共に、 フェリシアーノはローデリヒと共に、それぞれの所用で外出している。
一人を持て余してた菊は、今までずっと書庫に籠っていた。そして、ふと思い立ち、 玄関先へと向かう。目的先は、玄関の扉を開けた、直ぐ外にある花壇だ。
道路に面したそこにある煉瓦造りの花壇は、綺麗に整理され、それなりの大きさがあった。 その前にしゃがみこみ、まだ真新しく盛られた土の色を菊はじいっと見つめる。
先日、皆でここに花の種を植えた。真ん中には菊、その右隣にはフェリシアーノ、 そして左隣にはルートヴィッヒ。王耀から送られてきた菊の種の両隣に、 それぞれがそれぞれの好きな花の種を植えたのだ。
発芽するのはいつだろう。 何色の花が咲くだろう。一緒に植えた皆のお気に入りの花は、どんな形をしているのだろう。 表情の乏しい瞳を瞬かせて、菊はうっとりと小首を傾けて窺った。
きい、と扉の開く音にはたとした。
ああ、ちょっと様子を見るつもりだったので、 きちんと戸を閉めていなかったな。そう思いながら顔を上げて振り仰いだ菊は、 そこにいる姿に、ぱちりと瞬きをした。
そこにいるのは、 見覚えの無い、同じ年頃の少年だった。
こちらの国では珍しくない、 やや深みのあるハニーブロンドの髪。翡翠の様な瞳が、 そちらも驚いたようにまんまるになって、こちらを見つめている。
彼は、表情の乏しい菊を、 暫しぽかんと見返す。恐らく、ここに誰かがいるとは思っていなかったのだろう。 真正面から向けられる瞳の不躾さに、ややむっとその瞳に険を込める。
しかし、 それでも無表情のままにじいっと見つめてくる菊に、やがて幼さの強い丸みのある頬が、 みるみると赤く火照ってくる。不思議なものでも見るかのようなそれに、 うう、と彼は小さく唸ると、俯いて、唇を噛締め、ぷいとそっぽを向いた。
そのまま、両者動けず、時間だけが流れる空気の中。
最初にそれを壊したのは、 菊だった。
じいっと見つめる視線は動かないまま、すっくと立ち上がると、 ととと…と目の前に立ち、小首を傾けた。その距離の近さに、少年は俯いた顔を上げる。 人形のようにつるりとした東洋人特有の顔立ち。神秘的な黒曜石の瞳を間近に、 思わず吸い寄せられるように見入ってしまう。
だがその距離になって、 初めて彼が、自分を見ている訳でない事に気が付く。
黒い瞳はこちらの視線とは、 微妙に外れていた。その先は、左の肩。そして、ゆらりゆらりとその辺りを移動している。
何かを追いかけるようなその動きに、はっと彼は目を見開いた。その驚きのまま、 まるで責めるような形相で、かぶりつく様に小さな肩をがばりと掴む。
「おまえ、もしかしてみえるのかっ?」
揺さぶられ、黒い絹糸のような髪が揺れる。 ふわりと、馥郁とした遠い東の香木の芳香がした。





彼はアーサーと名乗った。
今日ここに来客として遊びに来た、フランシスの従弟である。 大人の話について行けず、暇を持て余して席を立ち、たまたま開きかけた玄関の扉に気がついて、 何気無く顔を出した所で、菊と対面したのだ。
「こいつがみえるのって、おれだけだとおもっていた」
だって、フランシスに言っても、 変な顔で適当に宥められるだけだから。俺が変なのかなって思ったけれど、 でもこいつらはやっぱりここにこうして居るし、それに大切な友達だし。
玄関先の階段、 二人は並んで腰を下ろす。
差し出すアーサーの掌の上、 ひらりと翻りながら宙返りをするのは、妖精ピクシーだった。尖った耳と、半透明の羽をつけ、 ほんわりとした光を発光するそれを、菊は興味深そうに見つめている。
「おまえんとこのいえにも、こいつらみたいなのがいるのか?」
こくりと頷く。 こんな姿はしていないが、竿のように長い鼻を持った者や、角を生やした者、 光る炎の玉に、九つの尾を生やした獣、山を跨ぐような巨人もいる。 へえ、とアーサーは声を上げた。
「そうか…いろんなやつが、いるんだな」
菊は、アーサーの手の上で羽を広げるピクシーに、そっと小さな手を伸ばす。 そして、その小さな頭を、丁寧な手つきで優しく撫でた。それが嬉しいのだろう、 ピクシーは放つ光をきらめかせ、くるくると菊の腕の周りを飛び交い、 そのまま黒髪が揺れる小さな肩へとちょこんと座った。
普通の人間なら、 彼らを目にした瞬間、化け物だと怯えるであろう。しかし、菊はそうではないらしい。 彼の国では、ごく身近にこういった存在が息衝いているのだ。
その事実に、 アーサーは胸の奥がじいんとしてきた。なんだ、そうか、自分一人じゃなかったんだ。 へへ、と笑った途端、じわりと目が潤んだ。
慌てて手の甲で目元を擦りつけるアーサーに、 菊は小首を傾げた。零れた滴に気が付くと、困ったように眉根を寄せる。 それに、アーサーは慌てて首を横に振った。
「ち、ちがっ…これは、 ないてるんじゃなくて…その…」
必死で否定するアーサーに、 菊は見慣れない民族衣装の袂からハンカチを取り出し、その目元を拭ってやった。 不器用だけど、優しい手付きのそれ。肩に乗っていたピクシーが、 くるりと二人の周りを回る。
かあ、とアーサーの頬が赤くなった。
「あ…あのさ…」
きゅっと、ハンカチごと菊の手を握りしめたのは無意識だった。 接触になれていない菊がぴくりと体を強張らせるが、アーサーはそれに気付かない。
「おまえ、おれんちにこいよ」
綺麗な薔薇がいっぱい咲いている庭があって、 そこには妖精や妖怪も沢山いる。ピクシーは勿論、ホブゴブリンや、クレムリン、 ユニコーンだって。皆、大切な友達だけど、お前になら特別に会わせてやるよ。 別に、お前の為なんかじゃないぞ。ちゃんと見えているのか、俺が確かめる為なんだからな。
ぐい、と腕を引っ張り、立ち上がらせた。さあ、行こう。今直ぐに。
勢いのままに菊を連れて行こうとするアーサーの展開に、菊は困惑する。だって、兄の王耀は、 ここで大人しく待っている様にと言ったのだ。言いつけは守らなくちゃいけない。 それに、行くとなったらギルベルトにも言わなくちゃいけないし、 そもそも直ぐに行けるような場所なのだろうか?
困惑するその様子に、 むうっとアーサーは眉間にしわを寄せる。
「なんだよ、いやなのかよ」
ぐいぐい腕を引くアーサーに、菊は腰を引いてその手から逃れようとした。 菊にとって、今出会ったばかりの相手に、この距離はあまりに近過ぎる。 そんな彼の習慣を、当然ながらアーサーは理解していない。嫌がられているようなそれに、 苛立ちで声が荒くなった。
「いっしょにこいよっ」
力任せに引っ張ろうとした所で、別の腕が二人の間に伸びてきた。
間を裂く様に入り込むと、ぱしんとアーサーの手を振り払う。そして、そのまま、 菊を背中に庇い、冷えたブルーの瞳が睨み据える。ルートヴィッヒだった。
突然割り込んできた彼に、アーサーはぎろりと睨みつける。なんなんだ、こいつは。
「おまえ、かんけいないだろ」
俺と菊で話をしていたのに。
背中に隠した菊に手を伸ばそうとした所、もう一つの小さな腕が飛んできた。
「きくーっ」
まるで大事なものを守るようにぎゅっと腕に抱きしめ、 怯えた瞳をアーサーへ向ける。ヴェーと声を上げるのは、 泣き出しそうな顔のフェリシアーノだ。
二人揃って帰宅した所、 玄関先のこちらを見つけ、駆けつけたようだ。どうやら彼らには、 嫌がる菊を怒鳴りつけ、何かを無理強いしている様に見えたらしい。
無言で近寄るなオーラを向けるルートヴィッヒと、 涙目になりながらも菊を守ろうとするフェリシアーノ。二人に挟まれ、 無表情のまま瞬きをする菊。
言いようのない圧迫感と、言葉にせずとも伝わる三人の関係に、 ぐっとアーサーは唇を噛締めた。


「なーにやってんの、君達」


緊張感の無い、呑気な声。きい、と開いた扉から掛けられたそれに、 一同はくるりと顔を向ける。
「もー、探したんだよ。 トイレに行ったまま帰って来ないんだもん」
全く、何処で迷っているのかと思ったけれど、 こんな所に居たんだ。
「ふらんしすにいちゃん」
「よお、フェリちゃん。 久しぶりだね」
相変わらず可愛いねえ。で、ルーイ君も帰って来たんだ。 そして、その後ろにいる見覚えの無い新顔に、へえと蒼い瞳を丸くする。
「もしかして、君が本田菊ちゃん?」
名前を呼ばれ、こくりと菊は頷いた。 黒い瞳、黒い髪、きりっとした切れ長の目元に、うんうんと頷く。
「成程、これはまた美人さんだねえ」
正に東洋の神秘って奴?興味深そうに、 オリエンタルビューティーを覗き込みながら、すとんとその前に腰を落とす。
「さっきね、ギルに菊ちゃんの所の絵を見せて貰ったよ」
いやあ、 あれは素晴らしかった。びっくりしちゃったよ。お兄さん、これでも美に関しては、 結構うるさい方なんだけど、新境地を開いた気分だよ。
「おや、フランシスじゃありませんか」
漸く玄関先までやって来たのは、 ローデリヒとエリザベータだった。どうやら帰宅途中で、ばったり出会ったらしい。 元気な子供二人と違い、なにも気付かなかった二人はのんびり歩調である。 勢ぞろいする子供四人とフランシスに、驚いた顔をしていた。
「丁度良かった、 お茶にしようってところだったんだ」
何だよ、アーサーを探しに来たら、 良いタイミングで全員が集まったなあ。これこそ、偉大なる愛の力だね。
「今日は、お兄さんの特製のお菓子を持って来たんだよ」
凄ーく美味しいから、 菊ちゃんも食べてね。
そう言ってフランシスは、軽い調子でウインクをした。














「じゃあ、お邪魔さま」
玄関先、馬車の前で挨拶をするフランシスに、 見送りに出たギルベルトはああと頷く。その隣にはローデリヒとエリザベータが立ち、 反対隣にはルートヴィッヒとフェリシアーノが、まるで菊を守るように両側から挟んで立った。
三人の前、ふん、とそっぽを向くアーサーに、あらら…とフランシスは苦笑した。
「ねえ、菊ちゃん」
腰を曲げて、視線を同じにして菊に笑いかける。
「今度は、お兄さんの所に遊びに来てくれないかな」
お兄さんが持ってきたマカロン、随分気に入ってくれたみたいだしね。 もっと美味しい物、沢山御馳走するよ。
その言葉に、表情の少ない菊の目が、 きらきらと光を宿す。本日持参してきた手土産のお菓子は、 この幼い東洋人には珍しいものであったらしい。彼の味覚を充分満足させるものだったようで、 大目に持ってきていた分まで、気が付けば全て菊のお腹に入ってしまっていた。 小さくて華奢な割に、結構な食いしん坊さんである。
こくりと頷く菊に。
「こら、食いモンに釣られてんじゃねえよ」
全く、食べる事に関してだけは、 やたら素直になるんだから。呆れた声のギルベルトに、あははとフランシスは笑う。
「皆で一緒に遊びにおいで。アーサーも待っているから」
自分の名前が出され、 びくりと隣にあった小さな体が震える。そうだろ?によによ笑って促すと。
「お、おれはべつに、きくをまってなんかいないんだからなっ」
真っ赤な顔をして声を荒げるアーサーに、あーもうこの子は…フランシスは溜息をつく。
言ってしまった後、自分の言葉の不味さに気付くのはいつもの事。はっと気がつくが、もう遅い。 表情無くじいっとこちらを見る菊に、泣き出しそうな目であわあわと慌てるが、 どうにも上手い言葉が出てこない。
「で、でも…っ」
唇を尖らせ、俯いて。
「おまえが、きたいっていうなら…あそんでやってもいいんだからな」
歯切れの悪く、口の中でもごもごと紡がれた言葉。可愛くないなあ…ギルベルトとフランシスは、 素直になれない言葉に半眼になる。
そんなアーサーに、菊はじいっと視線を向ける。 そして突然、すい…と伸ばされた指先に、へっと翡翠の瞳が見開かれた。 じいっと目の前の桜色の爪を見つめ、もしかすると?と、おずおずとそれを握ろうとしたところ。
その指先は、丁度アーサーの左肩、誰も見えない仄かな光をつん、と突っついた。
その仕草に、訳が判らず周りの一同はきょとんと眼を丸くする。意味が判るのは、 アーサーと菊の二人だけ。きらきら光るフェアリーの気配に、ここにいる誰もが気付かない。
むずむずとアーサーは唇を噛締め。
「ばかあっ」
真っ赤な顔でそれだけを叫ぶと、 くるりと背を向けて、一目散に馬車の中へと潜り込んでしまった。 菊以外には訳が判らず、そんなアーサーにぽかんとする。
「あー…ごめんね、菊ちゃん」
あいつ、ホント意地っ張りだから。ちゃんと後で、お兄さんが叱っておくよ。
「それじゃ、またね」
ウインクを一つ、ちゅっと投げキッスを残して、 フランシスも馬車に乗り込んだ。





馬車の座席、膝を抱えて自己嫌悪のどんぐりになるアーサーに、 フランシスはやれやれと溜息をついた。
「お前、馬鹿だねー」
本当は仲良くして欲しいくせに、あんな裏腹な態度を取っちゃって。あれじゃ嫌われちゃうよ、 全く、何考えているんだか。
「うるせー、ひげ」
その声も弱々しい。 自分でも判っているのだろう。下げた目尻に涙が滲んでいる。あーもー、後悔するぐらいなら、 どうしてもっと素直にならないかなあ。
「あの二人のナイトは手強いよ」
ルートヴィッヒとフェリシアーノは、やたらとアーサーを警戒しているようだった。 先程のお茶の時にも、両サイドから菊を挟んで座り、 離れたソファからちらちら視線を送るアーサーに牽制していたのだ。 どうやら二人には、敵認定されたらしい。
一体何をしたんだか…まあ何となく、 想像はつくけどね。フランシスは軽く肩を上下した。
「このままじゃ勝てないよー」
アーサーは思いっきり眉を顰め、ぎろりと怖い目で睨みつけてくる。あーあ、嫌だね、 八つ当たりは。
「そんなお前に、俺が有り難い言葉を教えてあげよう」
優雅に腕を組みながら、にやりと笑う。こう見えても、東洋の国に関して、 お兄さん結構詳しかったりする訳よ。
「菊の国の諺にはさ、まず胃袋を掴め…ってのがあるんだよね」
「…いぶくろ?」
訝しく眉を顰めるアーサーに頷く。別れ際だって見ていたでしょ? 東洋人は美味しいものが大好きなんだよ。
「そうなのか?」
「今度遊びに来てくれた時、すごーく美味しいものを食べて貰ったら、 また遊びに来てくれたりするんじゃないかなー」
食べ物で吊るみたいで、 ちょっとエレガントさには欠けるかもしれないけれど。でもこれも、 作戦の一つだと思えば、ね。
「…そ、そうか…」
もじもじと身を竦めるアーサーに。
「ま、お前の場合、まずはその態度だな」
せいぜい頑張って、 愛の為に戦っておいで。
フランシスは笑いながら、 その小さな肩を元気づけるようにぽん、と叩いた。








まだ子供だから見えるんです
2010.06.20







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