フェザータッチ・オペレーション
<7>





風が強くなってきたのは、昼を過ぎた頃だった。
重くなった雲の色に、 ぽつりぽつりと雨が降り出したのは夕刻。そのままやがて雨脚は勢いを増し、 夜の闇色になった今は強い風を担った嵐となっていた。











フェリシアーノは、一人で眠るのが嫌いだった。
幼い頃から兄や家族と一緒に眠っていた事もあり、 今でも一人のベットには慣れない。バイルシュミット家に来てから与えられた部屋は、 広くてきちんとして十二分なものだったけれど、自分にとっては些か広すぎる。 ぽっかりと広い空間に、まるでただ一人だけ放り出されてしまったような気にさせられるのだ。
がたがたと窓を揺さぶる強い風に、フェリシアーノはベッドの中、びくびくと身を固くする。 目に見えない何かが暗闇に潜み、外から窓を揺さぶり、こちらを窺っている…そんな恐怖の妄想に、 鳶色の瞳をうるると潤ませる。
こわいこわい。きっと、ここで身を丸めてじっとしていたら、 得体の知れない何かは自分の存在に気付かず、やり過ごす事が出来るだろう。 だけどそうなれると、誰もここに居ないと思って、 もしかすると別の誰かの元へ行ってしまうのではなかろうか。この屋敷の、他の誰かの所に…。
フェリシアーノはぎゅっとつぶっていた目を開いた。
時々唸る風や、 ごろごろと轟く雷の音に視線を揺らめかせながらも、ありったけの勇気でもって、 そっとシーツから顔を出す。そして、ずずいと引き寄せた枕を抱き締めると、 周りを確かめながらベッドを下りた。
闇夜になれた目を凝らしながら、 何とか部屋の扉を開き、そっと廊下を窺った。目的はあちら。大した距離でもないのに、 夜の闇の中ではどうしてこんなに遠く感じるのだろう。
背中に感じるひやりとした心許無さに、 途中で何度も背後を振り返る。大丈夫、何もいない、誰もいない、大丈夫、大丈夫…。
だけど、一歩踏みしめるごとに暗さと、寂しさと、不安が、背後から覆いかぶさってくる。 そんな時、フェリシアーノは涙を我慢をしない。強くなる雨脚に背中を押されるように、 べそべそと泣きながら歩いた。
そして漸く目的の扉の前に到着すると、 涙で濡れた小さな拳で、とんとんとノックした。





かたかたと鳴る窓枠に、ルートヴィッヒはベットの中、もそりと寝返りを打った。
毎年この季節になると、こういった嵐が良く起こる。ごおごおと吹きすさぶ風の音に、 暗闇の中、瞬きを繰り返す。
両親が事故で死んでしまったのは、こんな夜の事だった。
嵐の強い夜、予定の時刻を過ぎても帰らない父と母を、激しい雨の音を聞きながら、 ずっと待ちわびていた。その知らせを伝える為にドアを乱暴に叩かれた激しい音の不吉さと、 不安を強調するように鳴り響いていた雷鳴が、今でも忘れられない。
こんな夜には、 ギルベルトが傍にいてくれる事が多かった。ルッツ、嵐がすげえけど眠れるか。 夜中に部屋にやってきて、わしゃわしゃと頭を撫で、寝付くまで黙って傍にいてくれる。 だが今夜はその兄は居ない。仕事で遅くなるとは言っていたが、この嵐で帰れなくなるかも知れないと、 連絡があったのだ。
ルートヴィッヒは眉間にしわを寄せる。雨は嫌いだ。特にこんな時期の、 こんな嵐の雨は。ベッドのシーツの中、何ものからも身を守るように、小さな体をくるりと丸め、 ぎゅっと青い瞳を閉じた。
ささやかなノックに気がついたのは、その時である。
激しい雨の音に紛れそうなそれに、ルートヴィッヒはもそりと体を起こした。もしかすると、 兄が帰ったのだろうか。
そして、まるであの時と同じシチュエーションにぞくりと身を震わせる。
脳裏に浮かぶ、嫌なフラッシュバック。それを振り切るように、ベットから降り、扉を開いた。
隙間から顔を覗かせたのは、フェリシアーノだった。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を認めると、 ほっと小さく息をつく。フェリシアーノがこうしてルートヴィッヒの部屋にやってくるのは、 これが初めてではない。一人で眠るのが嫌いな彼は、眠れない時、怖い夢を見た時、 人恋しい時、寒い時、この家に来た時からルートヴィッヒのベットに潜る込む為、 しょっちゅうこうして夜中に扉をノックしていた。
今夜もこの酷い嵐に怯え、 寂しくてやって来たのか。そう悟ると、中に招き入れるように少しだけ身を引いて、 通り道を作ってやる。
しかし、そうではないらしい。ふるふると首を横に振ると、 涙目のまま、ルートヴィッヒの腕をぐいぐいと引き寄せた。





雨脚は更に酷くなってくる。強い雨はばらばらと窓ガラスを打ちつけ、 その音を聞きながら、菊は小さく身じろぎをした。
何処の空にも、 嵐はやはり存在するらしい。菊の国では、毎年決まった時期、 大きな嵐が何度も襲来してくる。大きな雨と風には慣れているが、 ガラス窓に当たる物音に、どうにも寝付けなくなってしまっていた。
黒い瞳が、じいっと窓の外を映す。嵐の強い夜、寝付けなくなると、 いつも抱きしめてくれた腕があった。優しくて、甘やかしてくれる場所であったのに、 何故だろう、大いなる寛容にいつも戸惑っていた。
頑ななこちらを、強引に抱き寄せる温もり。 それを思い出そうと目を閉じた所で、小さなノックの音にぱちりと瞬きする。
ぱっと首だけをそちらに捻り、そおっと身を起こす。探るような瞳で扉を凝視して、 それから漸くベッドから出ると、扉を半分だけ開いた。
そこに立っていたのは、 枕を抱えたフェリシアーノとルートヴィッヒだった。
やや険しい顔のルートヴィッヒは窺うように見詰め、 めそめそ半泣きのフェリシアーノは心配そうに覗き込み、菊が嵐に怖がっていないかを確認する。
次の瞬間、ぴかりと暗闇に閃光が走った。
数拍を置いて、ばりばりと空を割るような轟音が響く。 その音にフェリシアーノは飛び上がり、咄嗟に間の前にいた菊とルートヴィッヒに抱きついた。
ぷるぷると震える、怖がりで、寂しがりやで、泣き虫のちっちゃな肩。それでも、 この嵐に皆が怖がっているんじゃないか…闇に怯えながらも、 こうして頑張ってやって来たのだ。首元に埋める頭を宥めるようにそっと撫でる。
菊は大きく扉を開くと、二人を部屋の中へと招き入れた。

















夜の荒れとは打って変わり、明けた今朝の空は透き通るような青色になった。 雨で洗われた空気は爽やかで、名残の水滴が陽光を眩しく反射させている。
「二人とも、菊ちゃんが怖がってるんじゃないかって、心配したんでしょうね」
昨日の嵐は、本当に凄かったですから。
「全く、朝から驚きましたよ」
なかなか起きて来ないので起こしに行ったら、フェリシアーノもルートヴィッヒも部屋に姿が見えず、 菊のベットで三人折り重なるようにして眠っていたんですから。
ぽこぽこと怒りながら、ローデリヒは朝食の珈琲に口をつける。その隣、 漸く今しがた帰宅してきたギルベルトは、三人の朝食を取る様子を眺めながら、 事のあらましにふうんと軽く頷く。
「あいつの国では、嵐は結構多いらしいけどな」
王耀からの指南書に、そういった内容があった気がする。無駄だとは思いつつ、 一応目は通しているのだ。
「で、なんであれを着ているんだ?」
「フェリちゃん、 眠る時はいつも裸でしょ」
だから恐らくは、菊が着せたのであろう。フェリシアーノは、 菊と同じ民族衣装の単衣の寝間着を身に纏っていた。
「じゃあ、なんでルッツも着ているんだ」
しかも、何故かパジャマの上からだし。
「フェリシアーノだけでは、不公平だと思ったのではありませんか」
そんな事よりも、寝間着のままで朝食を摂る無作法の方が問題ですよ、 このお馬鹿さん。
口調こそむっつりしているものの、それを口煩く咎めない辺り、 何だかんだと許容しているのであろう。尤も、隣で眺めているエリザベータが、 「可愛い」と絶賛している所為かも知れないが。
「…ま、良いんじゃねえの」
ギルベルトは、ルートヴィッヒの嵐嫌いを、その理由と共に知っている。嵐の翌日には、 いつも寝不足で目の下に隈を作ってしまうことも。
だけど、今朝は違ったらしい。 楽しそうに朝食を摂る三人の朗らかな様子は、嵐の夜の寝苦しさを感じさせず、 実にすっきりとしている。
何だよ、心配していたけど、俺様がいなくても大丈夫じゃねえか。 肩を竦めてケセセと笑い、ギルベルトは濃い目に淹れた珈琲を、ぐいと一気に飲み干した。








この手のお話は、漫画の方が可愛く表現できそうです
2010.06.26







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