フェザータッチ・オペレーション
<17>





小鳥の囀りが響く長閑な早朝。
玄関ポーチの前で停めた車から出ると、明け始めた空を見上げ、うーんとアントーニョは伸びをする。 仕事へ向かうギルベルトを駅まで送って来たのだが、流石にこの早朝の長距離運転は、 なかなか骨が折れるものだ。
仕事、大変そうやな。何だかんだ言って、あいつ真面目やもんな。 くあ…と欠伸をひとつ。さて、と屋敷に入ろうとした所で、あちらの影に瞬きをした。
「ロヴィーノと菊ちゃんやん」
おーいとの呼び声に、ロヴィーノと菊はこちらを振り返る。 ぶんぶんと手を振りながら走り寄るアントーニョに、ロヴィーノはげっと露骨に嫌な顔をした。
「おはようさん、えらい早いやん」
普段ロヴィーノは朝はのんびりしていて、いつもならまだ夢の住人であろう時間なのに、珍しい事もあるものだ。
「こいつがはやくおきやがったんだよ」
こいつ、一回目が覚めたら、もう眠れねえみたいだし、でも起きるにはまだ早い時間だったし。 仕方ねえから、ちょっとだけ朝の散歩に付き合ってやったんだよ。
成程、この屋敷の裏手には、タイル造りの噴水や珍しい花も植えられている、地方色の強いパティオがある。 どうやら目が冴えてしまった菊に、散歩がてらにそこを見せてきたらしい。
ふうんと頷いて、アントーニョはへらりと笑う。
「なんや、えらい仲良しさんになってんな」
ロヴィーノ人見知りやから、親分結構心配しててんで。おてて繋いで、なんや可愛らしいなあ。
「ちげーよ、そんなんじゃねえっ」
だって、こいつ、この家のこと何も知らねえし。 気が付けば違う所にふらふら行こうとするし、だから仕方なくなんだよ。
ぽこぽこと声を上げるロヴィーノの顔は、それでも真っ赤なトマトのようである。 それを微笑ましく、苦笑交じりに見下ろしながら、アントーニョは菊の頭を撫でた。
「ごめんな、菊ちゃん。ロヴィーノ素直やないねん」
でも、悪い奴ちゃうから、付き合ったってな。
曖昧に小首を傾ける菊に、ロヴィーノはちぎーっと声を上げた。





確かに、誰に対しても人懐っこいフェリシアーノに対し、兄のロヴィーノはその性分から、 人付き合いにやや難がある。実は、昨夜眠る前にもひと悶着あった。
「なんで、いっしょじゃねえんだよっ」
むきーっと声を上げて抗議するロヴィーノに、 フェリシアーノは菊の手を握ったまま、ほわほわとした笑顔で首を傾げる。
フェリシアーノがここに来たときは、幼い頃からの習慣のままに、二人の兄弟は一緒のベッドで眠るのが常だった。 ルートヴィッヒが共に来る事も幾度かあったが、ロヴィーノとの相性があまり良く無い。 もともと兄弟と寝室を一緒にする習慣が無いルートヴィッヒは一人で客間で眠るが、 フェリシアーノとロヴィーノの兄弟は離れる事無く共にベッドに入る。
だが、今夜はそうもいかないらしい。
さて、そろそろ休もうかという時間。いつもと同じ調子でロヴィーノの子供部屋へ向かうかと思いきや、 フェリシアーノはルートヴィッヒと菊の元へと行こうとするのだ。 ここ最近、三人は同じベットで眠る事が多くなっていた。 フェリシアーノの中では、兄を蔑ろにするつもりでは無くて、単純にその日常の流れであろう。
だがそうなると、当然面白くないのはロヴィーノである。これじゃ、俺だけ仲間外れじゃねえか、ちきしょー。
「だったら、おまえはじゃがいもやろーとねやがれ」
俺はこいつと一緒に寝るからな。 ロヴィーノがぐいと引っ張ったのは菊の腕だ。 されるがままに引き寄せられる菊を、反対側の手をしっかり握って引きとめたのはルートヴィッヒである。
「はなせよ、てめえ」
お前は、馬鹿弟の子守りでもしていやがれ。
きっと睨みつけるロヴィーノに、むっと眉間に皺を寄せ、しかしルートヴィッヒは菊を離さない。 両サイドから腕を取られた菊は、無表情のままに瞬きをしていた。
ぎゃいぎゃいと声を上げる子供達に、呆れた溜息をつくのがギルベルトだ。 何だって子供ってのは、こんなどうでも良い事にムキになるんだ?
「面倒くせえな、四人で寝りゃ良いんじゃねえの?」
「あー、あかんわ。流石に無理やろ」
用意しているベッドは、もともと一人用である。子供と言えども二人、せいぜい三人で眠るのが限度の大きさだ。 ロヴィーノの子供用のベッドは勿論、小さい身体とはいえ、流石に四人で寝るのは無理がある。
ああ、もう。腰に手を当てて、めっとわざとらしくしかめっ面をして。
「喧嘩するんやったら、菊ちゃんは親分と寝るで」
そんで、残りの三人で一緒に寝たらええやん。
「なんでそこで、おまえがでてきやがるんだよーっ」


なんだかんだとやり合いの末、決着はくじ引きとなった。
結果、フェリシアーノはルートヴィッヒと、ロヴィーノは菊と眠る事になったのである。











ふんわりと食堂に漂う香ばしくて甘い香りに、子供達はぱたぱたと席につく。
お皿に乗せられた焼きたてのワッフルの上、蕩けるようなバターと甘い蜂蜜をとろりとかける。 ことりと目の前に置かれたそれに、菊は物珍しそうに瞬きした。
「さ、食べたってな」
にこりと笑う少し勝ち気そうな彼女は、アントーニョの農園で共に働いているらしい。 今回アントーニョの元に子供が集まったとを聞いて、近所に住む彼女は、朝から手伝いに来てくれたのだ。
格子模様のついた見た事の無い食べ物を、菊は興味深そうに眺める。 それに、隣に座っていたロヴィーノが、こうやって食べるんだよ…と教えた。 素直ではないが、それなりに面倒見は悪くないのだ。
かしかししたワッフルをフォークで一口、変わらない表情の菊の周囲に、ぽわわと小花が舞う。
「なんや、皆可愛いなあ」
柔らかそうなボブの髪を揺らし、彼女は傍らに座るアントーニョに声をかける。
「せやろ、朝から天国みたいやんなあ」
ちみっこい集団に、へらりと相好を崩す。
きゃあきゃあと声を上げるフェリシアーノ、もくもくと行儀良くワッフルを頬張るルートヴィッヒ、 目新しい食べ物に興味津々の菊、その様子をちらちらと窺いながらジュースを飲むロヴィーノ。 何ともほのぼのした朝食の風景に、アントーニョはコーヒーを飲みながら笑った。
「朝食が終わったら、今日はみんなで親分の農園を手伝ってな」
だから皆、動きやすい服に着替えといてや。 フェリシアーノはにこにこ笑って両手を上げ、ルートヴィッヒは口の中の物を飲みこんでこくりと頷く。 ちぇっと舌打ちするロヴィーノの横で、菊は無表情のままぱちりと瞬きをした。
動きやすい服。思わず菊は自らを見回す。その仕草に、ああ…とアントーニョは声を上げた。 袖が長く、裾がひらりとした独特の民族衣装は、この農園を歩き回るには不向きかもしれない。
「ロヴィーノ、菊ちゃんに服を貸したったり」
えっとロヴィーノは、あからさまに眉を潜める。
「なんで、おれが…」
「意地悪言わんと。ほら」
むうっと唇を尖らせるロヴィーノに、隣にいた菊がぺこりと頭を下げる。 お辞儀と言っていたそれは、菊の国の礼儀の動作であるらしい。
はあ、と溜息を一つ。
「ったく、しょうがねえなあ」
ほら、行くぞ。 食事を終えた菊の手を取ると、ロヴィーノは自分の部屋へと連れて行く。
如何にも面倒臭そうな口ぶりの割には、その後ろ姿から嫌そうな気配は微塵も感じられなかった。





屋敷の門の前、農園作業用の馬車に乗り込んでいるルートヴィッヒとフェリシアーノに、 彼女はそれぞれ用意した水筒を渡す。農園はとても広く、この地方は日差しも強い。 直射日光に慣れていないから、ちゃんと体調には気をつけるようにと念を押して。
「ほな、うちは昼御飯持って行くから」
よっしゃ、頼むわ。 馬車の前に座るアントーニョがこくりと頷いた所で、玄関の扉が開くのが見えた。 菊の着替えが終わったらしい。
ひょこりと姿を見せた菊に、アントーニョはぱあっと目を見開く。 馬車の荷台に座っていたフェリシアーノも、きゃあと声を上げて身を乗り出し、ぶんぶんと手を振った。
「きくーっ」
チェックのコットンシャツに、裾を折ったサスペンダー付きのズボン。 長靴にキャスケット帽を乗せたその菊の姿は、普段の神秘的な狩衣姿とは、また随分雰囲気が違って見えた。 着慣れない服が覚束無い様子に、ロヴィーノがその手を引っ張って連れて来てやる。
「よう似合っとるやん、菊ちゃん」
「背丈もロヴィーノ君とあんま変わらへんから、丁度ええわ」
なんや、そうしていると、まるでここらの子と変わらへんように見えるで。 言いながらアントーニョは、小さな体をよいしょと抱き上げ、馬車の上へと二人を乗せる。
板張りの荷台に腰を下ろすと、嬉しそうにフェリシアーノが抱きついて来た。 その後ろで、ルートヴィッヒも驚いたようにじいっと菊を見つめている。


「さて、行こっか」
ちゃんと捕まっときや。手綱を引くと、がくんと振動を伝え、馬車が動いた。
「気ぃ付けてな」
ゆらゆらと揺られながら、見送る彼女に、四人の子供達は荷台から手を振った。








まるでドナドナの歌のようだ
2010.12.14







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