フェザータッチ・オペレーション <20> 最初にその提案をしたのは、エリザベータであった。 丁度良い記念になりますし、フェリちゃんもルーイ君も、最近の物は無かったでしょう。 今この瞬間は、二度と無いんです。絶対に残しておいた方が良いです。 拳を握り締めて力説する彼女に、 確かにそうですねとローデリヒは頷き、いいんじゃね?とギルベルトも異は無く了承する。 こうして、彼女の主導で進められることとなった。 床の上にきちんと正座をして、菊はクロゼットの中に仕舞っている、竹製の葛籠の蓋を開く。 中に収められているのは、折り畳み、きちんと角を揃えて重ねられた衣服だ。 それを上から順番に捲り、身につける組み合わせを選定する。 基本的に、菊は自分の事は自分で出来た。 生まれ育った家は、良家としての流れを汲んではいるものの、幼い子供も決して甘やかす事はせず、 むしろ人並み以上に身の回りの事は出来るように指導をする家風である。 保護者たる自称兄はやや過保護のきらいがあったが、もともと分家でもあり、実際に顔を合わせる事は非常に少ない。 何かと構われる事はあったが、一人に慣れている自分としては、寧ろうっとおしく感じる事もあった。 目に付いた衣を引き出そうと葛籠の奥へと手を差し込み、指先に当たった感覚に、菊は首を傾げる。 何だろう、硬い物が触れた。手探りに任せ、ちっちゃな爪の先でかりかりと引き寄せ、手繰り寄せ。 そして出て来たのは、小さな瓶であった。 目の前に掲げ、菊は瞬きした。 透明なその中には、桃、黄、白の三色の小さな金平糖が三粒転がっている。 軽く揺らすと、からからと乾いた音が鳴った。 こんな所に入れていたのか。すっかり忘れていたその存在に、菊は目を細める。 手元に残った、たった三粒の金平糖。 思えばこれが、欧州へと渡るきっかけになったのかもしれない。 兄は外国が嫌いであった。 貿易業を営む兄は、諸国の人間と接する機会が多い。仕事柄、警戒心は必須であろう。 しかしそれ以上に、特に海を渡った西の国に対しては、嫌悪にも似た猜疑心を抱いているようにも思えた。 我は諸国を見聞して判ったね。あいつらは、我等を見下しているある。 乱暴で、尊大で、無礼で、こちらの油断につけ込む隙を、虎視眈々と狙っているあるよ。 菊、お前は素直で疑う事を知らないから、あいつらの食い物にされてしまうね。 そうならないように、お前は決して、兄の傍から離れてはいけないあるよ。 菊は繰り返し兄の口からそう聞き、そんなものなのかと納得する。 その所為もあり、それまで菊は、外国人を一度も見た事が無かった。 ごく稀ではあるが、兄の仕事関係者が家にやって来る事がある。 そんな時は、仕事の邪魔にならぬよう、離れか自室に閉じ籠っていた。 だからその人と顔を合わせたのは、本当に偶然だった。 その日は風が強く、そして庭の桜が満開に咲いていた。 散り急ぐ花が気になる菊と、咲き誇る花の美しさに目を止めた客人。 ふたりは満開の桜の木の下で、鉢合わせとなったのである。 初めて間近で見た遠い国からの来客は、菊の知る誰とも異なっていた。 肌の色、髪の色、瞳の色、顔立ち、体つき、身に着けた衣…初めて目にしたそれらに呆気に取られた菊へ、 異国の香りを纏う客人は、笑って小さな包みを手渡す。 両手で受け取ってそれを開くと、中には色鮮やかな金平糖が入っていた。 海を渡り、遠く西方、欧州の国からやって来たという客人は、菊にいろいろな話をしてくれた。 海上の冒険譚、異国の珍しい習慣、こことは違う街の風景、知らぬ土地での物語。 未知の世界のそんな話に、菊はいちいち驚いた。 引き篭もりがちではあったが、基本的に菊は好奇心が人一倍強い。 客人の語る諸々は、菊の興味を強く惹きつけた。 常日頃、兄の口から異国人の話は聞いている。 しかし、今目の前にした異国人は、兄が言う程悪人には見えなかった。 乱暴でも無く、尊大でも無く、無礼でも無い。 寧ろ菊の好奇心に感心し、尊重し、こちらの質問に丁寧に答えてくれる。 貰った金平糖は、大切に大切に食べた。 知っている筈の甘さなのに、まるでこれだけは特別な、見知らぬ異国の味がするように感じた。 それが、最後の三粒になってしまった時。 菊はどうしても、この砂糖菓子のあった国へと行きたくなってしまった。 部屋に入ると、室内は既に準備が施されていた。 いつもとは違う位置に移動されたソファ、その背後に垂れ下がったロールアップのスクリーン、 眩しい照明ライトに、角度を付けて取り付けされた反射板。 そして、その正面には、大きな写真機が設置されている。 エリザベータは写真機の前で、男と熱心に話をしていた。 しかし入って来た菊の姿に気付くと、にこりと笑顔を向ける。 「菊ちゃん、準備できた?」 頷くとその前に膝をついて、どれどれ…何処か楽しそうに、 きちんと着替えた菊の姿を、頭のてっぺんから爪先まで確認する。 うん、素敵よ。とっても可愛いわ。言いながら、満足そうに小さな肩をぽんと叩く。 「菊ちゃんの服って、さり気なく凝っているわよね」 形こそはどれも殆ど変わらないが、その布地に見られる微妙な違いは、菊の国の特性かもしれない。 まず、色の種類が豊富だ。例えば同じ濃紺でも、その風合いや濃度が微妙に異なっていたりする。 しかもどれも、織りが違っていたり、極細かい模様になっていたり、 微妙に柄が浮き上がるように編まれていたりと、ささやかな工夫が凝らされている。 それに初めて気付いた時、エリザベータは随分驚いたものだ。 ノックが一つ。かちゃりと扉が開いて、ローデリヒとフェリシアーノが入って来た。 目聡く菊を認めたフェリシアーノは、きゃあと声を上げて菊の元へと走り寄る。 こちらは裾の締まったハーフパンツにツイードのジャケットといった、ちょっとした外出着姿だ。 うんうん、さすがフェリちゃん。良く似合っているわね。御満悦に頷くエリザベータに。 「準備は整いましたか」 「はい」 いつでも始められますよ。 セッティングを終えた室内をぐるりと見回し、ふむとローデリヒは頷く。 隣から端正な横顔を見上げ、ローデリヒさん、小さく声を掛けて手を伸ばし、エリザベータはそのタイを整えた。 ああ、ありがとう。いいえ。穏やかに見つめ合う二人の様子を、菊とフェリシアーノが見上げている。 ノックがした。扉から姿を露わしたのは、ルートヴィッヒとギルベルトだ。 「よーお、お待たせ」 身支度を済ませた二人に、ローデリヒは眼鏡を押し上げる。 「これで、全員揃いましたね」 「ええ」 言いながら、エリザベータはルートヴィッヒの前に膝をつく。 ぴしりと糊の利いたシャツの襟を整えながら。 「ルーイ君、随分背が伸びたみたいね」 ほら、袖が短くなってきている。 白いシャツの袖を軽く引っ張るが、やや露出した細い手首は隠れない。 まあ、気になる程でもないか。エリザベータは少し目を細めて。 「男の子は、これからどんどん大きくなるもんね」 何処か愛おしそうな呟きに、ルートヴィッヒはむず痒そうに眉間に皺を寄せる。 そう言えば、最近靴がきつくなってきた。今まで届かなかった高さの本棚にも、指先が届くようになった。 自分では敢えて気がつかなかったが、確かに大きくなったのかもしれない。 「大きくなれよ、ルッツ」 頭の上にわしっと手を乗せ、にかりとギルベルトは笑う。 お前はきっと大きくなるぞ、俺様を超えるぐらいにな。 柔らかな金の髪が撫で回され、エリザベータはむっと目に険を込めて、ぺいっと乱暴にその手を払う。 「もう、髪が乱れるでしょ」 折角ちゃんと身支度してきたのに、台無しにしてどうするつもりよ。 ルートヴィッヒの乱れた髪を丁寧に整え、すっくと立ち上がり。 「あんたもっ」 「いてっ」 ギルベルトのタイを引っ張って、乱暴な手つきできゅっと整えてやる。 「記念に残る写真を取るんだから。しゃんとしなさい」 ぴしりと人差し指を突きつけられ、赤い瞳が寄り目になる。 それにふんっと背中を向けると、既にスタンバイしている、この街一番のカメラマンへと手を上げた。 「それでは、順番に撮影お願いします」 さあて。やっぱり最初はフェリちゃん、ルーイ君、菊ちゃんの三人からよね。 単体でもそれぞれ欲しいけれど、先ずは三人揃ったものを撮りましょうか。 わくわくと張り切るエリザベートの背中に、ローデリヒとギルベルトはちらりと視線を合わせ、 どちらともなくくすりと笑った。 順番に撮影が進む中。入り口近くに立って様子を見ていたギルベルトに、使用人からそっと声が掛かる。 どうやらギルベルト宛てに、急ぎのメッセージが入ったらしい。 銀のトレイに乗せて差し出されたそれを受け取り、ペーパーナイフで封を切り、中を取り出した。 二つ折りにされた白いカードを開いて、ふとギルベルトは目を細める。 文字を追いながら、真剣さを帯びる厳しい視線。 手短に記されたそれを最後まできっちり読み終えると、ギルベルトはゆっくりと顔を上げた。 その先には―――写真撮影の中心、はしゃぐ子供達。 目を細め、くしゃりと髪をかき上げるギルベルトにローデリヒが気づく。 「どうかしたのですか?」 そっと声をかけると、重々しく息を吐いて、ひらりと手にあるカードを示す。 「王耀からだ」 あいつからの連絡だ。どうやらこっちに到着したらしい。 「菊を迎えに来るんだとよ」 客人はポルトガルの人です、多分 2011.01.30 |