黒鷲は東の未来より舞い降りる
<3>





なだらかな丘の上、強固な壁に守られた修道院は、その周囲を修道士達の耕した農地でぐるりと取り囲まれている。 麦、野菜、果実などの収穫物はそこに住む修道士の生活を支え、修道院の運営の糧ともなっていた。
そんな農地の一角に、こじんまりとしたハーブ園が作られていた。 規模こそは小さいが、大切な薬草や貴重な香辛料などが育てられている。 日々手入れが必要な品種も植えられており、担当の修道女達は作業に余念が無い。
その手間が掛かる畑の労働に、今日も菊は参加していた。
勿論、強制では無い。 菊はどうも、一緒に孤児院に居る同じ年頃の子供達と遊ぶのが苦手なようだ。 寧ろ一人で遊んでいたり、世話になっている大人の修道女と共にいる方が好きらしい。 勤めに励む修道女について回る内に、気が付けばこうして一緒になって、農作業や仕事を手伝うようになっていた。
「キクーっ」
名を呼ばれ、振り返る。
太陽を逆光に浮かぶシルエット。 ぶんぶんと大きく手を振る見慣れたその形に、菊はほわりと微笑み、同じく大きく手を振って応えた。
「ししょー」
斜面になった畑の畔道を、白いマントをなびかせ、ドイツ騎士団は真っ直ぐに駆け降りてくる。 坂道の勢いに押され、おっとと足元を取られつつ、うわあとつまずきそうに前のめりながら、 それでも何とか踏ん張って、スピードを緩めること無くやって来ると、 そのまま両手を広げて飛びつくように菊に抱きついた。
きゃあ、押し倒されそうになる小さな体を、直ぐ傍に居たやや小太りの修道女が、笑いながら背後から支える。 突撃のスリルに、無邪気な笑い声が上がった。
はあはあと荒い息のまま。
「はたけのてつだいをしていたのか?」
「はい」
キクはとても気が利く子で、いつも私達の助けになってくれますよ。 隣から掛けられた修道女の言葉に、そっかあ、偉いぞお前。 自分より低い位置にある黒髪を、ドイツ騎士団はわしゃわしゃと撫でた。
乱暴で加減の無い力。だけど、髪をくしゃくしゃにしたまま、菊は嬉しそうにえへへと笑う。 幼い二人の微笑ましいやりとりに、一緒に畑作業をしていた修道女達も思わず相好を崩した。
生まれ持った性分のようだが、菊はこの年齢にして、既にどこか自分を律するような節があった。 まるで、拾われ、保護された自分の立場を、必要以上に理解しているのではないか。 そう思わせる程に、控え目で、謙虚で、真面目で、見守る修道女がびっくりする程、妙に大人びた所がある。
そんな彼女が子供らしい表情を見せる数少ない相手の一人が、このドイツ騎士団であった。
「キク、今日はもう良いですよ」
充分手伝って貰いましたから、二人で遊んで来なさい。穏やかに告げられ、戸惑う菊に。
「よーし。いこうぜ、キク」
俺様についてきやがれ。
小さな手を取ると、そのまま引っ張るように駆け出した。





柔らかな午後の日差しの下、てくてくと前を行くドイツ騎士団の背中を、菊は一生懸命追いかけた。 歩幅の違いから自然菊が遅れがちになるのだが、それを時々小走りで補いながら、それでも必死でついて行く。
そんな様子にドイツ騎士団は、ちらちらと振り返りつつ先を歩いた。 時々、わざとスピードを上げたり、突然駆け足になったりするので、 菊は慌ててその差を縮めなくてはいけなくなる。けれど、離れ過ぎる事は決して無い。 一定以上に距離を作ってしまうと、ドイツ騎士団は必ず足を止めて、菊が追い付くまでずっと待っていた。
畑の畔道に添ってなだらかな坂を下り切ると、うっそうとした森が立ちはだかっている。 大きな街道が通るこの森は、かなり深く、道を逸れると慣れた者でも迷い易いので、 子供だけで入る事は禁じられていた。
その手前、修道院が一望できるそこには、シロツメクサが群生していた。
絨毯のように緑と花が広がるそれを見つけると、ドイツ騎士団は菊を振り返り、によっと笑う。 あ、意地悪い顔だ。そう思った途端、小さな菊の手を奪う様に握ると、突然そのまま駆け出した。 そして、ふかふかの緑のクッションめがけて、勢いをつけて飛び込むようにダイビングする。
青空に吸い込まれる、ケセセと響く高笑いと、ひゃあと甲高い叫び声。
抱き合い、重なり合ったまま、ころころと二人で草の上を転がり回る。 ぐるぐる目が回る感覚と、めまぐるしく変わる視界、むせるような青い草の香りに、間近にある明け透けな笑顔。 最初はきゃあきゃあ怖がっていた菊も、やがて笑い声が込み上げてきた。
息を乱し、二人で大の字になって空を見上げて大笑いして、そして笑い過ぎて痛くなったお腹が落ち着くと、 菊はもそりと半身を起して座った。
「もー、ししょー、むかしといっしょです」
つまり、小さい時から、こんな所は変わってないって事ですよね。 そんな菊の言葉に、ドイツ騎士団はきょとんと瞬きする。
「むかしって?」
この間、修道院に来た時か? あの時は確か、こちらに気付かない菊に後ろからこっそりと近づき、わっと大声で脅かしたのだ。 あまりにびっくりして泣き出してしまった菊を、宥めるのが大変だったっけ。 でもそれって、昔と言う程の、昔の話か?
首を傾げるドイツ騎士団に、菊は少し目を見開き、何でも無いですと首を横に振った。 さらさらと揺れる黒髪に、草や花弁が絡まっている。 それを眺めながら、ドイツ騎士団も身体を起こして並んで座った。
「おまえのかみって、ほんとまっくろだよな」
頭上に艶やかなエンジェルリングの輝きを持つ髪は、肩の下で綺麗に切り揃えられ、細くて、真っ直ぐで、癖が無い。 さらさらしていて、触り心地が良い事を、事あるごとに頭を撫でているドイツ騎士団は良く知っていた。
「そんな、くろいですか」
「ああ」
こくりとドイツ騎士団は頷いた。
暗い色の髪を持つ者は、孤児院にも多い。 しかし、それでもここまできっぱりとした漆黒色は菊だけである。
あっさりと肯定され、菊は眉尻を下げて俯いてしまう。
一概には言えないが、太陽の光を受けて輝くような金の髪とふわふわと豊かな巻き毛は、 キリスト圏内において美の象徴の一つでもあった。 可愛らしさと汚れ無さの具現とされる天使が、金髪巻き毛として表現される絵画の多さが、 その傾向の現れであろう。
菊の持つ髪は、そんな美意識と、まさに対角線上に位置している。
欧州圏に住む人々に見られる鮮やかな色彩は、菊にとっては昔から憧れの対象であった。 地味な色しか持たない自分の姿と違い、彼らの纏う色はどれも、華やかで、煌びやかで、美しい。 人種の違いとは言え、どうしても手に入れられないそれらに、いつも憧れとコンプレックスを刺激されていた。
こうして違う生を受けてこの地に来ても、結局は以前と変わらない色を纏う自分に、菊は心底幻滅していた。 どんなに憧れようと、願おうと、所詮自分は自分でしか成り得ないのだと、 現実を突きつけられたようであった。
そして、もう一つ。 異民族の特徴を、目に見える形で強調している状態に、目立つ事が苦手な菊は酷く恐縮していた。
当然ながら、この地域にモンゴロイドは殆ど居ない。 そして何度も猛攻を繰り返してきたモンゴル帝国に大して、恐怖と嫌悪感さえ持っている。 そんな環境に置いて菊がこうしていられるのは、偏に孤児院に携わる修道女達の気遣いと、 師弟関係を強調して憚らないドイツ騎士団の存在であろう。
そんな心遣いが心底有り難く、そして同時に申し訳ない。
「…すいません」
「はあ?なんであやまんだよ」
訳判んねえ。ぷっぷくぷーと唇を尖らせて、ドイツ騎士団は手を伸ばした。 そして、その黒髪についた草や花弁を取ってやる。 髪がもつれないように、負担を掛けないように、一つずつ、丁寧に。
「おまえ、じぶんのかみがきらいなのか?」
「…あんまり、すきじゃないです」
「なんで。すっごくきれいじゃねえか」
「ししょーのほうがきれいです」
「そっかあ?」
「ししょーは、かみだって、めだって、とってもきれいないろです」
「んなことねえよ、きみわるがられるぜ」
「そんなことないです。うらやましいです」
「おれさまは、おまえのかみ、すきだぜー」
触り心地が、超俺様好みだからな。
ケセセと笑い声を上げながら、指でその髪を梳いてやる。 やや乱れていた髪は、すぐにさらさらと真っ直ぐに戻る。 その引っ掛かりのない素直さに、ドイツ騎士団は満足そうに笑った。

















プロイセンという国は、非常に特殊であった。誕生した経緯や、歴史、そして現状とその国家のとしての立ち位置。 そんな特異性が、彼の一風変わった容姿に表れているのかもしれない。
初対面の時より日本が目を奪われたのは、他に類を見ないその白金色の髪と、ルビーのような瞳の色であった。 それが、ゲルマン系特有の透き通るような肌と相まって、見る者に酷く非現実的な印象を与える。
このような配色の人物が、現実に存在するのか。 彼を目の前にすると、未だにそんな不思議な心地で、目を引き寄せられてしまうのだ。
「何見てんだよ、コラ」
「…いたいです」
ふごふごと上手く動かない口で抗議をするこちらを、片手に教科書を持ったプロイセンは半眼で見下ろす。
「痛くやってんだよ、バーカ」
むにっと彼が引っ張るのは、日本の柔らかい頬。 おーおー、よく伸びるぜ、このほっぺたはよ。むにむにと摘む力に遠慮は無い。 一国の権化である彼は、他国に対して平気でこんな事をする。
振り解いて良いのか、怒るべきなのか。 困惑顔でされるがままの日本に、彼は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らせる。
「講義中にぼーっとしてんじゃねえよ、コラ」
今の話、ちゃんと聞いていたのか。要約して聞かせろ。 頬を引っ張る手を離されると、ついでのように鼻の頭を指先で弾かれた。
プロイセンの教育は、合理的で、無駄が無く、的確で、厳格で、しかし丁寧であった。 講義は全く以って今の日本にとって必要なものばかりで、しかも痒い所に手が届くような判りやすさがある。 そして誠実にこちらの立場を慮る配慮があり、知識を出し惜しむような事もしない。
様々な懸念を持って挑んだ憲法指南ではあったが、こちらが予想していた以上に、 指導者としての彼は素晴らしかった。 共にやって来た調査団の中には、彼の理念や国としての在り方に、心酔し、傾倒する者もいる程だ。
言われるままに、彼の講義を要約する。彼は目を伏せ、腕を組んでそれを聞き終えると、軽く頷いた。 まあ、良いだろう。
そして、ぱたんと手にしていた本を閉じた。
時計を見ると、終わる時間にはまだ遠い。日本は眉根を寄せた。あの…疑問を口に言い淀んだ所で。
「今日はこれで終わりだ」
「えっ?」
「お前、顔色悪過ぎ」
殆ど寝てねえだろ。目の下に隈は出来ているし、唇は荒れているし、目は充血している。 それじゃ、集中力が切れるのも当然だ。
「大変失礼いたしました、私は大丈夫ですから…」
「師匠命令だ」
お前の弁明は却下。俺様の言う事を聞け。
短い期間を少しでも有効利用しようと奔走している事は、部下の報告から聞いている。 焦る必要がある事も理解できるし、そういった気概は評価できるだろう。 しかし無理をして自己管理を怠るのは本末転倒だ。
「ホテルに帰って、一度ゆっくり寝ろ」
そうすりゃ、そのぼけた頭もすっきりする。自分で気付いてねえみてえだが、ひでえ顔しているぞ。 そんな調子で倒れでもしたら、元も子もねえだろうが。
「いえ、その…決して眠かった訳では無くて…」
じろりと睨むプロイセンに、日本は言葉を濁して視線を泳がせる。
真っ直ぐに目を合わせて意思疎通を図る欧米と違い、日本は視線を合わせる事を良しとしない。 視線を逸らす行為は、疚しさや意志の弱い印象を相手に与える。そう注意をしても、習慣はなかなか治らないようだ。 やや苛々しながら、プロイセンはなんだよと次の言葉を促した。
「その…師匠の目を見ておりました」
「はあ?」
柄の悪い声を上げるプロイセンに、気恥かしそうに俯いて。
「あんまり、綺麗な色でしたから…申し訳ございません」
深々と頭を下げ、恐縮に顔を歪めたまま、窺うようにちらりと視線を向ける。 そこには、無表情のまま、耳まで顔を上気させる整った顔があった。
驚いて顔を上げる日本と視線を重ねたまま、数秒。
「何言ってんだ、馬鹿野郎っ」
がしっと頭の上に乗せられるのは、彼の大きな掌。 お前なんかに言われなくとも、この俺様が小鳥のようにカッコ良い事なんか知っているんだよ。
上から押さえつけるようなそれに、痛いです師匠、日本は肩を竦めながら受け止める。 もしかしなくとも、これは照れていらっしゃるのか?
「失礼しましたっ。ただ欧州の方々は皆さん、我が国から見ればとても珍しい瞳の色をされているので…」
目も髪の色も黒一色で統一されている我が国を思うと、その華やかな美しさがとても羨ましく思えるのです。 それでつい、不躾に見入ってしまいました。恐れ入りますすいません。
続けたその言葉に、押さえつけていた手の力がやや緩む。 開放してくれるのかとほっとした所で、更に圧力が割り増しされた。 痛い痛い、デスクの上に突っ伏すような状態で、よく判らないプレッシャーに耐える。
「なんだよそれっ」
つまりあれか?他の奴らと同じか?お前はそうやって、自分と違う目の色をしていたら、誰でも見惚れるのか?
師匠、訳が判りません。
というか、本気で痛いです。抵抗するようにばんばんとデスクの上を叩くと、渋々彼は手を離した。 涙目になって半身を起こすと、如何にも憤慨したように、不機嫌な赤い瞳が見下ろしている。
やはり綺麗な色をしている。ぱちぱち瞬きを繰り返しながら見上げると、彼はついとそっぽを向いた。 てめえなんぞに見せてやるもんか、馬鹿弟子。
ぷっぷくぷーと唇を尖らせる師匠に、どうにも居たたまれない心地で姿勢を正して座り直す。 果たして自分は、何処で何を間違ったのだろうか。
「…不吉がられるぜ、普通は」
禍々しいとか、魔物じみているとか、血を連想させるとか。
赤い瞳は、この世に存在しないものでは無い。 非常に稀ではあるが、そういった先天性色素欠乏の症例が認められている。 卑屈に思う事はないが、それでも自分の目の色が特殊だと言う自覚はあった。
「そうなんですか?」
やはり、文化の違いなのでしょうか。欧州文化は複雑怪奇です。
心底不思議そうに声を上げる日本に、思わずプロイセンは振り返る。感心したように見つめる眼差し。 自国では殆ど見当たらなかっただけに、こんな色もあるのかと、日本は彼の特殊性を素直に受け入れていた。 そしてそれを、とても綺麗なものだと認識している。
何処か間の抜けた無防備な顔で成程…と頷く弟子の様子に、プロイセンはがくりと脱力した。
「やっぱ、変な奴だよな…お前」
変なのは欧州の皆さんの方なのですが。胸の内でひっそりと呟く。
ともかく、これで誤解は解けた筈だ。 さて、という事で中断していた授業の再開を…そう思って指南書を開くが、 それは横から伸びてきたプロイセンの手によって、ぱたりと閉じられてしまった。
「今日は帰れ」
気を害してしまったのだろうか。眉尻を下げる日本に、プロイセンはにやりと笑う。
「で、とっとと荷物をまとめて来いよ」
自分の体調管理も出来ねえ弟子を、師匠として見過ごす訳にはいかねえだろう。 今後は目の届く範囲に置いて、きっちりお前の面倒を見てやるぜ。 俺様は優しいからな、我が家の部屋の一つや二つ、馬鹿な弟子に提供ぐらいはしてやるよ。
「え、ええっ?」
思わず上がった声を抑えるように、大きな掌が再び頭上に乗せられた。 しかし今度は痛く押さえつけられる事無く、わっしゃわっしゃと撫でられる。
「俺様は、お前の髪、好きだぜー」
他の奴らが羨ましいって言うけれど、全然そんな事ねえよ。充分綺麗じゃねえか。 それに、なんてったって、触り心地が超俺様好みだからな。
癖のない艶やかな髪をかき回しながら、彼はへへっと、何処か自慢げに笑っていた。

















やな事言われたりしてねえか。いいえ、皆さん、とっても優しいです。 修道院長が、お前を褒めてたぞ。真面目で働き者だってな。 嬉しいです。お仕事のお手伝いするのは楽しいです。 そっか、俺はお前の師匠なんだからな。何かあったら、ちゃんと俺様に言えよ。 はい、判りました。ありがとうございます、師匠。
「ほら、できたぞ」
「わあ、すごいです」
「あったりまえだろ」
これぐらい、俺様にかかればどうってこと無いぜ。両手で掲げるのは、綺麗に編み込まれた花冠。 ぱちぱちと手を叩く菊に、ドイツ騎士団は得意そうにケセセと笑った。
粗暴に見えて、手先は器用だ。 戦いで遠征に行く際、最低限自分の身の回りの事は自分で出来るようになるのが、騎士としての嗜みである。 時には自分で食事の支度をし、時にはほつれた服を自分で縫ったりするものだ。
「キクもじょうずだぞ」
始めてで、ここまで出来りゃすげえんだぜ。
教えて貰いながら菊も真似をして作ってみたが、流石に彼に比べると、ほんの少ししか編めていない。 編み方は記憶に残っていた。ただ、どうにも小さな手ではスピードに限界があるようだ。
ふと、そこで気がつく。
どうだろう。もしかするときちんと修練さえし直せば、 過去の自分が習得していたあれこれを、ここでも再現できるものなのだろうか。 あの頃の自分は、それなりの器用さを発揮して、技術大国として成り立っていた。 効果的な練習方法や修業法もあったし、改めてそれを実践して、積み重ねれば、あるいは…。
「ほら、かせよ」
手が止まってしまった菊に、まだ短い、シロツメクサで編まれたそれを受け取った。 こうして、こうして、こうすると…ほら、出来ただろ。ドイツ騎士団は器用にくるりと輪にして見せる。 そして出来上がった極小さなリングを、そのまま菊の左手首に嵌めてやった。 シロツメクサのブレスレットだ。わあ、と菊は目をきらきらさせる。
「このまえさ、けっこんしきをみたぜ」
遠征に行く際、騎士団の逗留地の一つの、とある村に滞在した。 そこで丁度、若い男女の結婚祝いが催されていたのである。 偶然そこに居合わせたドイツ騎士団は、折角なのでと、儀式の立ち会いを求められた。
「はなよめは、こんなかんむりをかぶっていたんだ」
自分が作ったシロツメクサの花冠を、菊の頭上に両手で丁寧に乗せてやる。 ほら、お前の黒髪には、白い花がよく似合うじゃねえか。
「すっげーんだぜ、ひともあつまってさ、ごちそうもいっぱいでさ」
決して大きな村ではない。 しかし目出度い祝いの場に、気の良い村人達が集まり、和やかに若く幸せな二人を取り囲んでいた。
「でさ、きょうかいで、ちかいのぎしきをしたんだ」
結婚の際、村の教会へ赴き、修道士と神の前で永遠の誓いを交わす。 ドイツ騎士団はそこに立ち会ったのである。
そう―――丁度こんな風に。
こちらを見上げる菊に身を乗り出すと、ちゅっと唇にキスをした。
何をされたのか判らなかったのか、きょとんと菊は目を丸くする。 瞬きもせずにじいっと見つめる菊に、ドイツ騎士団はへへっと笑った。
「これでおまえは、どいつきしだんに、しゅくふくされることになるんだぞ」
俺様の祝福のキスは、特別なんだからな。
公の式典の際、宗教上の儀式の際、騎士団の象徴として、その場に立ちあう事はよくあった。 そしてごく稀に、こうして自ら祝福を与えることもある。 結婚式に限らず、男女に限らず、戴冠式や、受勲式や、神の前で誓いを捧げる際、 特に聖職者からのキスは、キリスト教徒に置いて祝福の証でもあるのだ。 それが騎士団の象徴である彼から与えられたなら、正に言葉通りの意味を持つ。
とは言え普段は、頬か、額か、手の甲にキスを送るのが普通であった。 今回参加した結婚式でも、ドイツ騎士団は両名の頬に祝福のキスを贈っている。
通常今のような唇へのキスは、非常に個人的で、本当に身近な、極親しい者のみに限られていた。
「キクはおれさまのでしだからな、とくべつだぞ」
自慢げに笑うドイツ騎士団を前に、菊はぽぽぽと顔を赤くする。
欧州やこの宗教圏に置いて、キスは特別なものでは無い。 挨拶でも普通に交わされるし、修道女達も時々優しいキスを、頬や額に送ってくれている。 分かっている、これは特別な存在たるドイツ騎士団が、弟子である自分を、特別に祝福してくれたものだ。
でも、やっぱり、恥ずかしい。
「どうしたんだ、キク?」
お前、顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか?おーい、きーくー。
至極不思議そうに覗き込んでくるドイツ騎士団の顔が見れなくて、 菊は俯いて頬に手を当てたまま、ふるふると首を横に振った。








大切な貴方にこそ、心からの祝福を送りたい
2011.05.11







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