ツインとダブルの方程式
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「あ、とびらがあいてる」
「ホントだ」


エスカレーターを降りた瞬間、ギルベルトが目敏く見付けたのは、 真っ直ぐに伸びた廊下にぽつんと見える、開放されたままの扉だった。 繋いでいたユールヒェンの手をぐいぐい引っ張りながら、ほら見ろよと小さな人差し指で示して主張する。
どうやらバイルシュミット家の隣人は、本日が入居指定日であるらしい。 先月入居が開始されたこの新築マンションは、日本では春休みに相当するこの季節だけあり、 現在は引っ越しラッシュの真っ最中である。 かく言うこちらも、実は先週ここに越して来たばかりだった。
「なあなあなあ、どんなやつがくるんだ?」
「さあ、どうだろうな」
「おとこかな、おんなかな」
「どっちかな」
「おれとおなじくらいのやつっているかな」
「いるかなあ」
腰よりも下の位置から見上げてくる好奇心丸出しの幼子に、ユールヒェンはによによ笑いながら答える。 とぼけたようなそれが、お気に召さなかったらしい。 ギルベルトはぷくっと唇を尖らせると、繋いでいた手を振り切って走りだした。
「あ、こら」
不器用に走る小さな背中は、一直線に開けっ放しの扉へと向かう。 搬入の際に傷を付けないようにであろう、入り口には丁寧に、厚手の段ボール紙が貼り付けられていた。 それに手を掛けて、ギルベルトはひょいと中を覗き込む。
室内の窓も開放されているのであろう、 吹き抜けになった向こうから吹く強い風に前髪を煽られて、思わずきゅうと目を瞑った。
やや暗い室内は、どうやら隣り合う自分の部屋と、全く同じ間取りであるらしい。 玄関口を入ってすぐ、左右には洋間への扉があり、突き抜けた正面は開放的なリビングキッチン。 奥に見えるベランダへと続く大きな窓には、ふわふわと白いレースカーテンが風に煽られている。
それらを背中に、やや暗い廊下に佇んでいたのは……。
「おい、ギルっ」
勝手に人様の家の中を覗くんじゃねえ、失礼だろ。 追いついたユールヒェンは、ぐいと小さな子供の肩を引く。 しかしきょとんと呆けたままのギルベルトに、辿るようにそちらへと視線を習った。 そして、同じくぽかんと目を丸く。
玄関を上がって直ぐのそこ、ちょこんと立ってこちらを見ているのは、日本人形のような少女であった。
肩まで切り揃えた艶やかな黒髪。黒目がちの目。陰影を映した丸みのある頬。 どうやらあちらも、驚いて固まっているらしい。 くるりと目を瞠ったままぴくりとも動かないから、ますます作り物であるかのような錯覚をさせる。


「桜さん?」


彼女の背後、声と共にひょいと覗いたシルエットに、三人は同時にびくりと肩を震わせた。
カウンターキッチンから逆光になったそれは、こちらに気がつくと、ああと軽く頭を下げる仕草をした。 そして、エプロンで手を拭きながら、ぱたぱたと戸口までやって来る。
「こんにちは」
向けられるのは、人当たりの良い柔らかな笑顔。 少女の隣に立つと、並ぶ小さな頭を宥めるようにそっと撫でた。
「本日ここに越して来た、本田菊と言います」
縋りつくようにその足に腕を回す彼女の様子から、どうやらここの家主であるらしい。 それにしても若くないか? この少女の存在が無ければ、学生と称してもまるで不思議ではない。
「隣のバイルシュミットだ。ユールヒェン・バイルシュミット」
こっちも、三日前に引っ越しして来たばかりだ。そうですか、後で御挨拶に伺おうと思っておりました。 ぺこりと頭を下げる彼に、ユールヒェンは手を差し出す。少し首を傾げたが、直ぐにああと彼は手を握った。
そして膝をつくと、隣に立つ少女を引き寄せる。ほら、なんて言うんですか?  促すと、幼い彼女はもじもじとした仕草のままに、ぺこりと頭を下げる。
「ほんだ、さくらです」
舌っ足らずながらも礼儀正しい挨拶に、ユールヒェンは笑った。桜ちゃんか、よろしくな。 そして、同じく膝をついて視線の高さを合わせると、 ぽかんとしたままのギルベルトの後頭部をとんと指先で突く。ほら、お前の番だろ。 じろりと睨むと、唇を尖らせながら突かれた頭を撫で、それでもきちんと桜に向き直る。
「ぎるべると……ばいるしゅみっと」
こちらもまた恥ずかしげな様子に、菊は微笑ましく目を細める。
「ギルベルト君は何歳ですか?」
「……さんさい」
ちっちゃい指を三本立てて答えると、へえ、と彼は瞬きをした。
「では、桜さんと同い歳ですね」
ねえ、俯きがちな顔を覗き込むと、桜はこくりと頷いた。 そして、同じ様にこちらもちっちゃい指を三本立てて見せる。おんなじだな。 ケセセと笑ってギルベルトが立てた彼女の指に、自分の指を押しつけるように重ねる。 それに、ほんのりと控え目な笑顔を浮かべた。
「なあ……なんか、においがする」
ぽつりと呟いたギルベルトに。
「ああ、引っ越し蕎麦ですよ」
丁度これから、お昼に食べようと準備しておりまして。
「悪いな、忙しい時に邪魔しちまって」
行くぞ、ギル。そのまま立ち去ろうと、小さな手を取ろうとするが。
「ヒッコシソバ?」
なんだ、それ。好奇心いっぱいに瞬きするギルベルトに、くすくす笑いながら。
「よろしければ、ご一緒しますか?」
「おうっ」
いやいやいや、ユールヒェンは慌てる。
「こら、馬鹿。何言ってんだ」
お前初対面の隣人に対してだな、引っ越しで忙しい時にだな、突然お邪魔するなんてな。 しかしそう言っている間にも、ギルベルトはとっとと靴を脱いで上がり込む。
そして桜の前に立つと、によっと笑ってその小さな頭をわしわしと撫でた。
突然のそれに、桜はひゃあと目を閉じて肩を竦める。 しかし撫で回すギルベルトは、おおおと目をきらきらさせた。 すげえなこいつ。ちっちゃくて、まんまるくって、つやつやしてて、さらさらしてて。
「こいつ、すっげえおれさまごのみのさわりごこちだぜー」
なあなあ、触ってみろよ。 女の子の髪をくちゃくちゃにしながら、嬉しそうにこちらを振り返って報告するギルベルトに、 あちゃあとユールヒェンは額に手を当てた。 ああもう、全くこいつは。
「ほんっと悪い」
直ぐ、連れて帰るから。 止めさせようと手を伸ばすが、それをするりとすり抜けると、ギルベルトは桜の手を取って、 とっとと家の奥へと連れて行く。 こら、いい加減にしろ。本気で怒るぞ。身を乗り出すが。
「御遠慮なさらず、どうぞ」
「いや、でも……」
「実は、ちょっと作り過ぎて困っていたんですよ」
引っ越しの手伝いをしてくれる友人から電話が入ったのは、ついさっきだ。 トラックに荷を乗せてこちらに向かっているのだが、どうも渋滞に巻き込まれてしまい、大幅に遅れるらしい。 一緒に食べるつもりで多めに蕎麦を準備していたのだが、到着時間に予想がつかず、 彼らは適当に外で食事を済ませるとのことである。
「正直、食べて頂けると、こちらも凄く助かります」
男ばっかりだったので、多めに用意したのが仇になりました。 流石に二人では食べ切れませんし、処分するのも勿体無くて。
「それに、折角お友達になれたようですから」
きゃあ、と向こうで声が上がる。どうやら、子供二人はすっかり打ち解けたらしい。 ぱたぱたと走りまわる様子に、少し迷った挙句、ユールヒェンは肩を落として苦笑する。 その了承の意に、埃っぽいですがどうぞ、菊は彼女を中へと案内した。
「ホント、厚かましくて悪いな」
「こちらこそ、無理強いしたようですいません」
ただ、と菊は二人の子供に目を細めた。
「桜さんは、ちょっと人見知りしがちの子なので」
こうして全く知らない土地に引っ越しして来て、新しく友達が出来るか不安だったのですよ。 でも、ギルベルト君もいるし、何とか大丈夫そうですね。
「男親一人の娘なので、やっぱり到らぬ所も多くて」
はは、と自嘲するように後ろ頭を掻き上げて肩を竦める菊に、ユールヒェンは瞬きを一つ。
「一緒だよ」
「はい?」
「俺の所もお前と一緒」
ギルベルトも一人親。あいつは俺様一人で育てているんだ。
によっと口の端を吊り上げるユールヒェンに、菊も瞬き一つ。
「……そうですか」
ふわりと笑う彼に、おうと彼女は不敵に頷いた。


「改めて、いろいろよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼むな」


顔を見合わせ笑う大人二人に、子供二人がおーいと手招きをした。








……という電波を、突然受信しました
相変わらずのちびっ子好き、申し訳無い
2012.11.01







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