ツインとダブルの方程式 <8> その話を持ち出したのは、菊だった。 成程、連休に合わせて、そんなイベントがあるのか。 恐らく、何処かへお出かけしようかと計画する、子供のいるファミリー層をターゲットにした企画なのだろう。 駅に貼っていたポスターを目にしたらしいが、同じ駅を利用しているにも拘らず、 ユールヒェンは全く気がつかなかった。 「ほら、ギルベルト君、乗り物の絵本とか図鑑が好きでしょう」 だから、喜んでくれるんじゃないかと思って。 連休中、何処にもお出掛けしないのも子供は退屈でしょうし、良かったら皆で一緒に行きませんか。 入り口で受け取った館内案内の地図を開きながら、菊とユールヒェンはぐるりと視線を巡らせた。 「うわ、結構広いな」 「これは壮観ですね」 主催は、国内でも有数の玩具メーカーだ。 子供向けのプラスチックの乗り物おもちゃの見本は勿論、歴代の人気製品のレプリカも展示、 遊戯施設や体験教室も充実させ、物販コーナーには関係会社やその他の商品も並び、 一方では企業向けのコーナーまで設けられている。 子供対象の乗り物おもちゃ博と銘打ってはいるものの、ちょっとした博覧会の規模だ。 「すっげーっ」 入場した途端、あちらこちらに並ぶ錚々たる乗り物のおもちゃ群に、ギルベルトは瞳をきらきらさせる。 そして同様に――もう一人。 「きくっ、これ。これなんだ?」 「おー、これはレアですよ。凄いなあ」 「なあなあなあ、あれ。あれがみたいっ」 「ギルベルト君、ほら、行ってみましょう」 「すっげー。きくっ、みろよー」 「あ、ギルベルト君。こっちこっち」 なんだ、この水を得たような魚二匹は。 確かに男の子は、一度は何かのマニアになる。 その対象は、電車だったり、虫だったり、ミニカーだったり、 恐竜だったり、ロボットだったり、プラモデルだったり。 それに対して、偏見は無い。こればっかりは、女の子には成し得ない、彼らだけの特有の世界なのだ。 まあ実際、家族連れが多い会場内、どう見ても一人参加の大人の少年の姿も、ちらほら見受けられるしな。 桜の手を握ったまま二人を見遣るユールヒェンに、菊は慌てて首を横に振る。 「あ、いえっ。別に、違うんですよっ」 でも、ほら。子供の頃のおもちゃって、自分も持っていたりして、凄く懐かしくなるじゃないですか。 あの頃欲しかったけど買って貰えなかったりとか、大切にしていた筈なのに無くしたりとか、 誰かが持っているのが凄く羨ましかったりとか、凄く気に入っていて思い入れがあったりとか。 そんなノスタルジックな思い出もあって、いえ、それだけなんですけどね。 「ああ、うん。判ったから」 だからそれは、何に対する言い訳だ。 「きくっ、きくー」 ぐいぐいと腕を引くギルベルトに、慌てて振り返り、はいはいと連れられるままにそちらへと向かう。 「あっちー、あっち行ってみようぜーっ」 「うわあ、これこれ、同じ物を持ってましたよ」 「すっげー、きくー、これこれーっ」 「ああ、見て下さい、ギルベルト君」 「なあ、それってなんだ?」 「へえ、今はこんなものもあるんですか」 だから、なにこの男子達。 混雑する人混みも何のその。 こちらをそっちのけで意気揚々と走り回る二人の後ろ姿を見送り、桜とユールヒェンは視線を合わせた。 とりあえず、二手に分かれよう。そんなユールヒェンの提案は、恐らく妥当なものであろう。 何せ桜は、元々乗り物のおもちゃに興味は示さない。 普段でもおっとりした彼女では、テンションの高くなったギルベルトについて回るだけでも大変そうだ。 しかも、こんな時の子供は自分の同調者を嗅ぎ分ける本能を持っているらしく、 ギルベルトは菊の手を引いたまま離さない。 大人の足でも全てを回り切れるか判らない程の広い会場内、 同じ興味を持つ二人で行動する方が移動もスムーズになるし、 好きな所を好きなだけ見て回れるし、互いも楽しめるだろう。 ひとまず時間を決め、待ち合わせの約束をすると、 男子チームに手を振って、女子チームは隣のブロックへと向かった。 メインは乗り物のおもちゃではあるが、そこはおもちゃ会社主催ファミリー層向けイベント、 乗り物に興味を示さない女児向けのゾーンも、きちんと用意されているのだ。 「お、ここか」 おー、すっげえ。かーわいいなー。 見るからに女の子色に彩られたコーナーに、思わずユールヒェンは声を上げた。 普段ギルベルトに合わせて男児用のコーナーしか覗かない保護者としては、この華やかさは酷く新鮮だ。 そうだよな、男の子物も充分可愛いけれど、やっぱり、どうしても、女の子物の可愛らしさは別格なんだよな。 そのひとつひとつに細かな飾りが付けられた、本格的なおままごとセットとか。 きらきらしたビーズがふんだんにちりばめられた、豪華な秘密の宝石箱とか。 レースとギャザーがたっぷり使われた、大きな目を持つ着せ替え人形とか。 ほんわりと淡いパステルカラーの、シリーズ物のキャラクターグッズとか。 ここはやはり同性だけに、見ているユールヒェンも楽しくなってしまう。こりゃ、菊の事言えねえな。 「うっわ、こんなのあるんだ」 ほらほら。見ろよ、桜。 スポットライトを浴びてでかでかと展示されているのは、きらめくスワロフスキーであしらわれた、 中世ヨーロッパを彷彿とさせるドレスを纏う、お馴染みの塩化ビニル製の着せ替え人形である。 これ、遊び用じゃなくて、飾り用だよな。てか、そのお値段が既に子供向けじゃねえし。 つか、何だこの予約終了の札は。やっぱ買う奴はいるんだな。寧ろそっちに驚きだぜ。 「すげえ、綺麗だなー」 膝をついて視線の高さを同じに、ユールヒェンは桜を引き寄せて、やたらとスペシャルな人形を見上げる。 しかし、桜は感情の判り難い瞳をぱちぱち瞬きさせ、 口元に手を添えて、ユールヒェンに耳打ちした。あのね、あのね。 「ゆーるひぇんさんのほうが、きれいです」 あのお人形さんよりも、目の色も綺麗だし、髪の色も綺麗だし、 ずっとずっと美人で、ずっとずーっとお姫様みたいなんです。本当ですよ。 きょとんと眼を丸くするユールヒェンに、桜はえへへと笑う。 ぽやぽやと小花を散らせるはにかんだ笑顔に、むずむずする唇を噛み締め、 そして感情のままに、ぎゅうっと小さな体を抱き締めた。 「もーお前、ほんっとに可愛いなあ」 マジ、可愛い。堪んねえ。可愛過ぎて、俺様本気で困るぜ。 どうして抱き締められたのか判らないまま、それでもぐりぐりと頬ずりされて、桜はきゃっきゃと笑い声を上げる。 馴染みがあって安心する菊にぎゅっとされるのも大好きだけど、 柔らかくて、ふわふわしてて、良い匂いのするユールヒェンにぎゅっとされるのも大好きなのだ。 「桜は何か、欲しいものはないのか?」 折角来たんだしな、何か買ってやるぞ。 思えば、本田の家には、ブロックや積み木や絵本等はあるものの、 あまり女の子らしいおもちゃは置いていなかったような気がする。 菊が男親なだけに、あまりそういった方面に、意識が向き難いのかも知れない。 「着せ替え人形とか、持ってなかったもんな」 この限定品はちょっとアレだけど、ほら、あっちにも一杯種類があるぞ。 立ち上がり、手を引きながら人形のコーナーへ向かった。 お決まりの着せ替え人形の他に、クラシックドールや、ぬいぐるみ、 女児が抱っこをするのにぴったりサイズの赤ちゃん人形もある。 ほら、どれも可愛いよな。見せてやるが、しかし桜はちょこんと首を傾けるだけ。 人形はあまり好きじゃないのだろうか。 そう言えば、おもちゃ売り場に到着すると、あっちに行きたい、こっちを見たい、そっちのが欲しい、 煩いぐらいに主張するギルベルトに比べ、桜にはそれが無い。 自己主張をしないので、こちらが読み取り、読み解き、汲み取らなくてはいけないと菊は言っていたが、 成程、つまりはこう言う事なのか。 「よし。じゃあ、一緒に見て回ろうか」 いろんなのが、いっぱいいっぱい置いてあるもんな。俺様と一緒に、何があるのか見て回ろうぜ。 「いっしょに?」 「おう、一緒にだ」 一緒に、を強調すると、見上げてくる桜は、ほわっと笑って頷いた。 きゅ、と力を込められる、繋いだ幼い手。楽しげな足取りに、ふと気付く。 もしかすると、桜はおもちゃを見るのが楽しい訳ではなく、物を買って貰う事が嬉しい訳ではなく、 ただこうして手を繋ぎ、一緒に歩き回ること自体に一番喜んでいるのではなかろうか。 柔らかいほっぺたを、繋いだこちらの手の甲にすり寄せる健気さに、ユールヒェンは胸を突かれる心地がした。 「……っと、危ない」 躓きそうになったギルベルトに、菊は繋いでいた手を強く引っ張り上げる。 膝を突くよりも早く、ぶらんと小さな体は宙に浮き、すとんと両足が床に着地を果たす。 ささやかなスリルに、ギルベルトはきゃあと声を上げた。 「大丈夫ですか?」 人混みで混雑していますから、足元気を付けて下さいね。 「荷物、私が持ちましょうか」 片手に持った紙袋に手を差し伸べると、ギルベルトはふるふると首を横に振って拒絶する。 「おれさまがもつ」 ぎゅ、と大切そうに紙袋を胸に抱き、へへっと実に嬉しそうに向ける笑顔に、思わずうんうんと頷く。 自分が子供だった頃、こうして買って貰ったおもちゃが、 本当に嬉しくて、とても大切で、片時も手から離したくなかったものだ。 ぴよぴよと小花を散らしてにこにこ笑うギルベルトに、菊もつい笑み零れてしまう。そうですよね。 女の子も可愛いけれど、こうしておもちゃなんかで一緒に盛り上がれるのは、やっぱり男の子なんですよね。 さて、手にある携帯電話のメールを見直しながら、柱に大きく書かれているアルファベットを見上げる。 先程入ったメールによれば、二人はこの辺りにいるようなのだが。 「ユールヒェンさんと桜、何処にいるんでしょうかねえ」 ぐるりと辺りを見回す。 どうやらこのブロックは、イベントに便乗して、子供服のセール販売をしているらしい。 「いたーっ」 ぱっと菊の手を離し、しかしおもちゃの箱はしっかりと胸に抱いたまま、 ぱたぱたとギルベルトは駆け出した。 やっぱりギルベルト君は足が速いですよね、慌てて菊もその後を追い駆ける。 「ゆーるひぇーん」 試着室の前で腕を組むユールヒェンの腰に、ギルベルトは背後から勢い良く飛びついた。 おっと笑いながら振り返り、柔らかい髪をぐりぐり撫で回す。 数歩遅れて追いついた菊に。 「おう、丁度良かった」 すっげえ悩んでいたんだけど、なあ、一緒に考えてくれよ。酷く生真面目に、視線で促し。 「赤とベージュ、どっちが桜に似合うと思う」 その先、見ると、上品な深みのある赤色の服を試着した桜が立っていた。 すとんとしたレトロな形ではあるが、襟ぐりの形が凝っていて、 飾りボタンも可愛らしく、なかなか似合っていると思う。 しかし、だがしかし。 「いえ、あの。流石にウールコートは時期的にちょっと……」 これから夏へと向かうこの季節、先取りするにはあまりにも早過ぎやしないか。 時期外れのセール品をお安く買うのは良いのだが、しかし子供は直ぐに大きくなる。 たとえ今がぴったりでも、半年後にそれを着られるかは判らない。 「そうか?」 だって、すっげえ可愛いじゃねえか。どれにしようか、俺様迷っちまってさあ。 腕を組んで真剣に眉を潜めるユールヒェンの足元、買い物籠に山盛り入れられた女児服に、菊はぎょっとした。 「ちょ、ユールヒェンさん」 なんですかこれ。目を剥く菊に、桜の服、とあっさり返した。 「しっかし、女の子向けの服って、マジ可愛いよな」 しかも、どれもこれも桜に良く似合うんだ、またこれが。 とりあえず、こっちの籠は決定だけど、こっちの籠は検討中。 示したそこには、同じく女児服がメガ盛りされた買い物籠が二つ並んで置いてある。いや、ちょっと待て。 「確かに可愛いですけど、これは多過ぎですっ」 こんなに買っても、我が家のクロゼットに入り切れませんよ。 大体、この年頃の子供は直ぐに成長し、大きくなり、あっという間に服が小さくなってしまう。 いつか着るだろう服を買ったとて、箪笥の肥やしになるのがオチだ。 てか、普通に考えて、浴衣は四着も要らないです。 「えー、だって可愛いじゃねえか」 見ろよこれ。着せてやりてえと思うだろ。それはそうですが、限度があります。 お前、こんな可愛くて桜に似合う服を目の前にしてそれを買わないなんて、それでも人の親か? 大体、お前だって、ギルになんか買ってやってるじゃねえか。 あれは、そんなに大したものではありませんよ。 ユールヒェンさんも、そこにある紙袋は、もう桜に何か買ったんじゃありませんか。 あれこそ、大したもんじゃねえよ。だからだな。 賑やかに頭上で応酬する二人の足元、ギルベルトが桜の前に立つ。 えへへと胸を張り、胸にしっかり抱き締めたおもちゃの入った紙袋を見せて。 「これ、きくにかってもらったぜ」 限定品、って言ってた。今日、ここでしか買えない、特別なおもちゃだってさ。すっげえだろ。 自慢げに報告するギルベルトに、桜もふにゃりと笑う。 「わたしも、ゆーるひぇんさんに、かってもらいました」 カップと、お椀と、お箸が入ったおもちゃです。 可愛い鳥さんの絵がついてて、ジョジーナさんにぴったりなんですよ。 ジョジーナとは、ユールヒェンがドイツ出張の際、 ギルベルトと色違いで買って来たテディベアに桜がつけた名前だ。 ふわふわの毛並みを持つテディは、いつも一緒に寝ているし、時々一緒に公園にも行くし、 抱き心地が丁度良い、とっても大切な桜のお友達なのである。 「いえにかえったら、さくらにもみせてやるからな」 特別なおもちゃだから、すげえ大事なんだけど。でも、仕方ねえから、桜には特別だぜ。 「わたしも、ぎるべるとくんに、みせてあげますね」 ジョジーナさん用ですが、ギルベルト君のジョージさんにも、特別に貸してあげますね。 そっと戦利品の報告をし合い、特別な約束を交わすと、ギルベルトと桜は肩を竦めてくすぐったく笑った。 女の子グッズの可愛さは堪りません テディの名前は、某シュタ○フから、そのまんまです 2012.11.27 |