魔女と拾い猿 <2> あの時拾った小猿は、高く売れそうな美少年でもなければ、雑用を任せられるほど器用でもなく、後継者になれるほど頭も良くなければ、使い魔に出来るほど従順でもなかった。 但し、その代わり。 「チチ、こいつか?」 「んだ」 よし。胸の前でぱしりと己が拳を手の平で受け止め、悟空は目の前に立ちはだかる、巨大ドラゴンを見上げる。 最近この山に姿を見せるようになったこの岩竜は、近隣の町でも随分暴れていたらしい。連日あちこちの森が荒らされ、流石にこのまま放置すれば、フライパン山はおろか、近くの村にも被害が及ぶ。なんとかした方が良いだろうと、悟空を連れて乗り出したのだ。 「倒しちゃって良いんだよな」 「頼むだ」 無駄な殺生は避けるべきだ。幼い頃から悟空にもそれは教え込んでいる。 しかしこのドラゴンは、生身の生き物ではない。人の悔恨と怨念が交わり、何らかの力を得て動く、可視化した負のエネルギーの集合体だ。 悟空は好戦的な黄金色の瞳を細めると、楽しげににやりと口角を上げる。 「んじゃあ、一丁やってやっか」 小猿は、やたらと腕っぷしの強い獣へと成長を遂げてしまった。 体を鍛え、強くなる事と強い相手と戦う事に、持ち得る情熱の全てを費やす。その上やたらと大食漢で、兎に角食費が間に合わず、チチは調合の依頼を増やして食費稼ぎに追われる羽目に陥っていた。 しかもこの野生児、根っからの自由人らしく、時折修行と称しては、十日、半月、時には一年以上も帰って来ず、からっきしの音沙汰無しとなってしまう。 最初は毎日ちゃんと帰ってこい、でなければ連絡を寄越せと叱りつけていた。だが、なにかに集中すると、それ以外がすっぽり頭から抜けてしまう性質らしい。流石のチチも、最近はもう、諦めの境地に入りつつある。 空をつんざくようなドラゴンの雄叫びと共に、ずしんと足元が振動を伝えた。 どうやら終わったらしい。鮮やかなものである。ドラゴンと言えば、騎士団ひと小隊以上を派遣して退治するような魔物ではあるが、悟空に掛かればあっという間に解決する。文字通りの一捻り。当人は息も切らさず、けろりとした無傷状態だ。どうだと言わんばかりのどや顔に、ちょっと腹が立つけれど。 「ありがとう、悟空さ。助かっただ」 「おう。ほら、これだろ」 黒い霧となって拡散するドラゴンの体内から悟空が取り出したのは、手の平サイズのごろりとした石だ。 思ったよりもサイズが大きい。受け取り、持っていたナイフの柄で叩いて割ってみると、内側は魔石がぎっしりと結晶化していた。今回のドラゴンの核となっていた魔石である。 水晶のように輝くそれは、魔法に使えたり、魔術道具に加工されたりと、高く売買できるものだ。負のエネルギーが強ければ強い程、純度が高くなる。純度が高ければ高い程、魔石は透明度を増す。ふうむ。これは、なかなか……。 「少し前、向こうの街で疫病が流行ったみてえだからな」 ひょっとすると、そこで生まれたエネルギーが、ドラゴンを作り出したのかもしれねえべ。 「最近、多いな」 少し前、修行で東の国に向かった際も、飢饉に襲われた村が幾つもあった。戦争もあったらしく、ドラゴン退治の討伐隊を派遣することも叶わず、山や森が荒れ放題になっていた。その二次災害で、作物が不作となり、飢えた人々に疫病が蔓延し、それが原因で生まれたモンスターに村が襲われるという悪循環に陥っているらしい。 対岸の火事ではない。水不足と日照不足が年毎に繰り返される昨今、このフライパン山近辺にも、不穏な影が押し寄せている。 チチは少し難しい顔で考え込み、そして悟空を振り仰いだ。この機会だから、丁度いい。 「悟空さにも、教えておいてやるだよ」 チチが悟空を連れてやって来たのは、フライパン山のさらに奥だ。 二人が住む屋敷も山奥にあるが、獣道さえないような深い森を抜け、険しい崖や岩肌を乗り越えた場所であるここは、流石にとても人間が足を踏み入れるような場所ではない。 うっそうとした森の木枝に隠された洞窟の入り口を潜ると、内側は思っていた以上にゆったりとした空間が設けられていた。岩の影には小さな葛籠も隠されており、中にはブランケットや簡単な衣服、長期保存できる薬も幾つか納められている。 「ここは?」 「昔、おらのおっ父に教えてらった隠れ場所だべ」 亡くなったチチの父親である牛魔王が、密かに残しておいた秘密の避難場所であった。あまりに不便過ぎて魔女も住めない所ではあるが、ここなら人目も忍べ、近くには湧き水もあり、数日ぐらいならば生活もできるだろう。 その昔、今のように世情が不安定になった時代、各地で魔法使いや魔女狩りが行われた。 人間から見れば、魔法は便利であると同時に、不思議で、奇妙で、不気味なものだ。人間は、未知のものや得体の知れないものに対し、畏怖と恐怖を抱く。厄災に不安に煽られた疑心暗鬼の心が、少数民である魔法使いに向けられることは、過去にも度々あった。 「もし屋敷に何かがあったり、二人がバラバラになれば、ここで待ち合わせをするだ」 特に悟空さは、修行に行っちまえば、それ以外をすっかり忘れてちっとも帰って来なくなっちまうからな。なにかあった時は、おらもここに来るから。おめえもそれを覚えておいてけれ。 悟空はがしりとした腕を組み、片眉を吊り上げて、隣に並ぶチチを見下ろした。 彼女が言わんとすることは理解出来る。しかし、そんなまどろっこしい手段ではなく、もっと手っ取り早い方法があるだろう。 「オレをチチの使い魔にすればいいじゃねえか」 チチはぽかんと悟空を見上げ、そして呆れたように笑った。 「おめえ。自分の言っていること、分かってるだか?」 おう、頷く。 「オレは別に構わねえぞ」 ずい、と顔を寄せて肯定する。 茶化すものでもなく、笑い交じりでもなく、やけに真剣な眼差し。悟空はその隈取のある金の瞳にチチを映し、細める。 「オレをチチのものにしろよ」 助手として、雑用係として、労働力として、護身用に、魔物や動物を使い魔として契約する魔女は多い。契約方法は様々だ。術を施したり、印を刻み付けたり、真名を授けたり、血を与えたり、肉体的に交わったり。魔女の得手や嗜好にも左右されるが、手段はそれなりにある。使い魔の契約自体は、それほど難しいものではない筈だ。 魔女として、チチは弱くはない。しかし強くもない。 「オレなら充分お前を守ってやれるし、同じ時間を生きてやれるぜ」 魔力は持たないものの、修行を積んで鍛えぬいた自分なら、この山も彼女も守ってやれるだろう。気のコントロールには自信があるし、さっきのような魔獣が現れても、あっという間に退治してやる。それでもまだもし力が足りないというのなら、更に修行して強くなってやる。悟空にはその覚悟があった。 「契約で縛っちまえば、離れられなくなるんだろ」 魔女が呼べば、使い魔は即座に呼び寄せられる。何処にいるのか、無事でいるのか、互いの安否を察することが出来る。そうなりゃ、二人がバラバラに分かれた時の心配なんてしなくて済むのだ。 「意外だな」 「なにが?」 「おめえは、誰かに縛られるのが嫌なんでねえのか?」 誰にも邪魔されず、縛られず。自分が満足するまで、自由に、好きなだけ修行して、強くなりてえんじゃねえのか? そう指摘されれば、頷くしかない。 チチの言う通りだ。生まれ持った性分か、戦闘民族と言われる種族所以か、どうにも自分は力を求め、戦いに身を置きたがる傾向がある。強い奴がいると聞けばワクワクするし、命の危険を感じようとも、バトルの中での高揚感は他では得られぬ代え難いものだ。 こればかりは、たとえチチに止められようと、決して手放せない。 「おらは、おめえを縛り付けたいなんて思ってねえだよ」 まあ、最初に拾った時こそ、使い魔にする選択肢も頭にあった。しかし成長したこの男を見る限り、自分が使い魔に求める適正は見当たらない。それに、この雲のように、空のように、翼のように、何処までも自由でありたいとする男を、魔術で縛り付けるのは酷だろう。 「オレに言わせりゃ、おめえの方が意外だ」 へ? と訳が分からず首を傾げるチチに、悟空は拗ねたように唇を尖らせる。だってさ。 「じゃあなんでおめえは、オレが帰ってこねえと怒るんだよ」 「そりゃ、あったりまえだべ」 呆れたように声を上げ、片手を腰に当てる。ぴしりと人差し指を、目と目の間に突き出して。 「自分の子供を心配しねえ親なんて、何処にもいねえだよ」 ――子供? 意外な言葉に、今度は悟空の方が目を丸くした。んだ。大きくチチは頷く。 「おめえは、おらが育てた子供みてえなもんだからな」 今でこそ見上げるような大男だが、昔は片手ですっぽりとだっこできる、赤ん坊小猿だった。 体が弱っていた時には、ひと匙ひと匙食事を口に運んでやった。ボタンもつけられない年端の時には、着替えさせてやった。眠れない時には一緒の布団に入り、寝付くまで子守歌を歌ったこともある。生活の作法も、文字や数字も、実は一番最初に亀仙流の武闘の型を教えたのも、チチであった。 なのに、ここよりも広い世界がある事を知ると、もっともっと強くなりたいからと、気紛れに飛び出して行ってしまう。そして知らない傷を増やし、血の跡を付け、ボロボロになって、腹が減ったと帰ってくるのだ。親であれば、心配しない方がおかしい。 それでも、自由にさせている理由はただ一つ。 「子供を縛り付ける親なんて、いねえべ」 綺麗な笑顔でそう告げるチチに、悟空は目を瞠った。 「まあ、独り立ちしてこの家を出ていくっつーなら、おめえを止めはしねえだよ」 ちょっと寂しくはあるけれどな。でも、それが自然で、当たり前。 むずむずと何か言いたげな悟空に、さてこの話はおしまい、とばかりにチチはぺちりとその額を手の平で叩く。そろそろ屋敷に帰るべ。くるりと背を向けたチチの背中に、むうと悟空は唇を尖らせた。 元来た道へ、さくさく歩く小さな背中を追いながら。 「オレは、おめえを母ちゃんなんて思ったことねえぞ」 おやまあ、それは残念。 「まったくこのドラ息子は、ホント親不孝モンだべ」 反抗期だろうか。まあ、家出を何度も繰り返すような不良だからな。からからと笑うチチに言い募ろうとするが、しかしなんと伝えて良いのか分からず、結局ぐうと言葉を飲み込む。 「子供はいつか、母親の元から巣立っていくもんだからなあ」 心配しなくとも、おらはそれを、ちゃんと笑って見送ってやるだよ。それが、母親ってもんだからな。 ふふっと小さく笑み零し、チチは眩しげに木々に覆い隠されそうな高い空を見上げた。 魔女集会設定は、多少拗らせつつも、 「あくまで母子・師弟関係」が好みです 2020.04.07 |