魔女と拾い猿
<4>





 突き出した手の平から放たれた気功波は、凄まじい威力であった。
 凝縮されたエネルギーは眩い光を放ちながら、一直線に大地を抉って敵を貫く。わんわんと耳に共鳴する空気の振動。呼吸さえも遮る強い圧迫感。焼き尽くすような熱の余波。吹き飛ばされそうな衝撃の余韻に、歯を食いしばってやり過ごす。
 やがて、波のように閃光の残像が引いてゆく。
 残るのは、自らの荒い呼吸と、耳が痛くなるほどの静寂。突き抜けるような空の色。通りすがりの風が、ひらりと髪を梳いた。

「やったか……」
「……ああ」

 手応えは確かだ。奴の気配は完全に消滅し、真の前には残像の如き黒い靄が、ゆらゆらと大気に溶け込んでゆく。それが完全に見えなくなるまで見送り、漸く悟空は大きく息を吐いて、その場にどかりと腰を落とした。
 ぜえぜえと肩でする息は、未だ落ち着かず。当然だ。これだけの威力を込めた気功波を放ったのだ。相変わらず、底抜けのパワーを秘めるこの男に、ベジータは底知れぬ恐怖すら感じる。
「ひゃー、疲れたー」
 今回はヤバかったかもな。おめえのお陰だな。
 脱力するまま、大地を背にばたりと寝転がる。大の字でへへ、と笑う声にいつもの力は感じられない。余程消耗したのであろう。それでも力を出し切った戦闘狂は、晴れ晴れとした顔で、雲さえ散った青空に赤い隈取のある目を細めた。
 しかしベジータとしては、プライドがズタズタだ。王族の生まれで天才と呼ばれたこのオレが、こんな奴に後れを取るなんて。本当にムカつく野郎だぜ。
 とは言え、腹が立つと同時に、妙に胸に落ちたような感覚があるのもまた事実だ。抜かれたなら、次は抜き返す。悔しければ、この次は更に上を目指せばいい。頭上高くに強く吹き抜ける風を見上げ、ふっとベジータは鼻で笑った。
 脱力に身を任せるを惜しむ心地を奮い立たせるように、よっと弾みをつけて、悟空は体を起こす。無茶をした反動で、体に過負荷が掛かったのであろう。軋むような全身の怠さを庇うように立ち上がると、敵が霧散されたであろう辺りをのろのろと伺った。
「お、あった」
 腰を屈めて手にしたのは、男の大きな手にもややあり余るサイズの、ずしりとした石である。
「魔石か」
「ああ」
 チチに持って帰ろうと思ってな。
 勿論相手にもよるが、時折こうして核に魔石を持つ魔物が少なくない。人間が放つ負のエネルギーの結晶体が、魔石を核に具現化しているのだ。最初に対峙した時からうすうす感じていたが、矢張り今回倒した相手もそうであったらしい。
「おめえもいるか」
「いらん」
 そっか。ぽんぽんと悟空は手の平で石を弄ぶ。
 ブルマが手掛けるからくりは魔石を使わない。悟空自身も魔石に興味はないが、チチは発見すると持ち帰る事がある。珍しいものなら研究を、そうでないなら加工して販売し、それを生活費の足しにするのだ。
 チチにいい土産が出来たな。そう思うと、忽ちこれを受け取った彼女の顔が見たくなってくる。
「よし、帰るか」
 力も使い切ったし、流石に疲れた。チチも心配しているであろうし、何より彼女の作った飯を腹いっぱい食いたい。思い出しただけで、腹の音が鳴りそうだ。
 腰に手を当てて、ぐうっと背筋を伸ばすと。
「おい」
 ぶっきらぼうに呼ばれ、悟空は振り返った。
 腕を組んだベジータは、ふうと呼吸をひとつ置いて。
「オレはブルマを連れて、サイヤ人の国に帰る」
 サイヤ人は残っていないし、フリーザに荒らされたままの大地ではあるが、少なくとも今住む西の都よりは安全だ。聖地の神殿とまではいかないが、あそこなら人間の侵入も防げ、身の安全を確保できるだろう。
 どれぐらいの期間になるかは分からない。だが少なくとも、今の魔女狩りの風潮が落ち着くまでは、そこに留まるつもりだ。
 悟空は表情を変えずに、ベジータを見遣る。
 今しがた倒したセルが、人間の怨念から生まれた魔物であったように、似たような魔物が各地で更に増えている。一つずつ潰していくには、流石に悟空やベジータだけでは無理であろう。
 少し前、南の都で大規模な魔女狩りが発生したらしい。原因は、完全なる誤解だ。都の王宮に仕えていた魔女が、戦争があった敵対国周辺で商売を営む魔女達と顔見知りであったかららしい。長引く諍いの中、双方が裏で手引きをし、薬や魔法道具を高値で売っていたと邪推されたのである。当然そのような事実はなく、魔女らは双方共々、己の仕事をまっとうにこなしていただけであった。
「ブルマをあんな下品な儀式の餌食にさせられるか」
 如何にも忌々しそうに吐き捨てるベジータに、悟空は目を瞬かせる。正直、この男からそんな台詞を聞く日がこようとは思わなかった。
 しかし同時に納得もした。彼は冷徹に見えて、生真面目であり、律儀であり、何より自分が必要だと思ったものは大切にする。行き場を失った彼を拾ったブルマに対し、多少なりとも恩義を持っていることは知っていたし、何よりこの誇り高きサイヤ人の王子が、あの気の強い女にだけは、好き放題言わせるままにさせ、そして離れる気配がない。
 つまり、そう言う事なのだろう。
「貴様はどうするつもりだ」
 あまり悠長なことは言っていられない。一番良いのは、暫くは身を隠し、情勢が安定してから再び帰ってくることだろう。魔女や魔族は、そうした歴史を定期的に繰り返している。元より人間とは比べ物にならない程、寿命が長い。人にとっては長い年月も、こちらにすれば僅かな間だ。
「チチが、フライパン山を離れたがらねえからな」
 あそこには、彼女の亡き父親が作った薬草畑がそっくり残されている。幼い頃から住まう屋敷にも愛着があり、長らく近隣住民ともつかず離れずの関係を保っていた。出来ることなら、このままひっそりと留まっていたいらしい。
 とは言え、そうも言っていられないのが現実か。
 近年彼女への薬の依頼は先細りに減っており、相対的に村へ出向かなくなった分、彼女を知らない年齢の住民も増えていた。魔女や魔物に対する不信感は悟空も肌で感じている。ひと昔前の魔物も魔女も人間も共存していたような時代が、終わりつつあった。
 なんでわかんねえのかな。結局、魔物の化け物を作ってんのって、ホントは人間なんだけどな。
 胸の内で、悟空はそっと溜息をついた。その横顔を眺めながら、ややイライラしたようにベジータは肩を怒らせる。そして、お前がどうしようと知ったこっちゃないがな、と前置きして。
「一応。貴様が来る余地ぐらいはある、とだけは言っておく」
 妙な言い回しに軽く瞠り、はは、と悟空は笑った。なんだそりゃ。腰に手を当てて、軽く首を傾けながら。
「サンキュー、考えとくぜ」
 歯を見せてにかりと笑うと、ちっと舌打ちを一つ。眩いオーラを纏うと、もう用は無いとばかりに、ベジータはその場から飛び去った。















 帰宅してきた悟空に、チチは驚いて目を瞬かせた。
「悟空さっ、どうしたんだべっ」
 ボロボロでねえか。しかも傷だらけで。なしただ、一体。
「へへ、流石に今回はちっと疲れちまった」
 屋敷に入ったところでそう言いながら、出迎えに出て来たチチに、そのまま体を凭れかけさせる。
 わっ、わわっ。厚みのある筋肉に完全武装された体は、当然ながら見た目相応の重量がある。チチはその重みに耐えきれず、そのままたたらを踏んで、すとんとその場に尻餅をついた。それでも細い腕でしっかりと筋肉の塊を受け止めてところが、実に彼女らしい。黒髪に鼻をこすりつけながら、悟空は口角を上げる。
「もう、悟空さっ」
 危ねえでねえか。おめえに凭れかかられたら、おら支えきれねえだよ。てか、これじゃ動けねえべ。
 ぷんすかと口では怒っているものの、しかしその目は心配そうに悟空を伺っている。今ので何処か打ってないか。消耗が激しいが、魔力に異常はないか。細かい傷は無数にあるけれど、酷い怪我は見当たらないか。黒い瞳は忙しなくあちこちを確認する。
「大丈夫だか? 悟空さ」
「おー、腹減って、疲れただけだ」
 怪我はしちまっているけど、どれも大したことねえし、殆ど治っちまってる。ゆっくり休めば問題ねえよ。
 少し休んでから帰ろうと思ったが、矢張り一番ここが落ち着く。ブルマが心配なのか、ベジータも早々に去っていったし、ふらつく体をおして、悟空もできる限りの速度でここまで戻って来たが、うん、まあよかったな。
 お、そうだ。
「ほら、土産だ」
 すとんと手の平に乗せられた魔石に、チチは眉をひそめた。かなり大きい。分析しなくては正確には分からないが、それでもかなりの力を持った魔獣と戦っていたのかと推測が出来た。
 言葉無く、受け取った魔石をじいっと見下ろすチチに、悟空は少し身を離して彼女を覗き込む。
「嬉しくねえか?」
 思っていた反応と違う。もっと嬉しそうな顔が見られると思ったのに。少し不満そうに唇を尖らせる悟空に、チチは困ったように眉尻を下げて笑った。
「嬉しいだよ。ありがとうな、悟空さ」
「おう」
 漸く満足したようにへらりと笑う。そっか。チチ、嬉しいか。欲しかった言葉に、へへっと悟空は笑う。
「でも、無茶はしねえでけろ」
 大変だったんじゃねえのか。こんなに大きな魔石、なかなかねえもん。だからそっだらカッコなんだべ?
「大丈夫だって」
 今回はベジータも一緒だった。確かにちっと手間は掛かったけど、なんとか持ち堪えたさ。まあ、すげえ疲れたけどな。
 そのままずるずると体の力を抜くと、自然、彼女の胸元に顔を埋める位置となる。昔、武道を教えてくれた仙人が好きだったっけ、この感触。ま、確かにパフパフして、いい匂いがして、すげ気持ち良いけどな。柔らかい感触に、悟空は目を閉じた。
 疲れ切ったその様子に、チチは痛々しく眉尻を下げる。溜息を一つ、困ったようにふふっと笑った。
「悟空さは甘えん坊だな」
 おう、少しぐれえ甘えたっていいだろ。あんだけ強ぇ奴を倒した後なんだからな。
 見ようによっては幼子が如き甘えた仕草ではあるが、しかしその実、多分に邪なものが入り混じっている。判ってんのかよ。判ってねえよなあ。こういう所、鈍いもんな。オレと二人でいるからいいけどよ、でも他の奴らにはもっと警戒心持っとくように言っとかなくちゃな。
 半ば諦めに近い心境で溜息をつきながら、悟空は感触を堪能する。ま、いっか。気持ち良いし。いい匂いするし。悟空はそのまま大きく息を吸い、子猫のように頬を寄せた。





 そういえば、とベジータを思い出す。
 あんなこと言っていたけど、ブルマとなんか契約したのかな。弟子って訳ではなさそうだから、やっぱ使い魔かな。どうやって契約したんだろう。チチ同様、ブルマもあいつを好きなようにさせていたのにな。どっちが言い出したんだろう。
 そこら辺、詳しく聞いておけばよかったよな。
 疲れと眠気で意識がたゆたう中、優しく髪を撫でる感触に、ふるりと機嫌良く尻尾が揺れた。









なんとなく悟空さは青年期より
歳を食った後の方が甘えるような気がします
2020.04.23







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