それはとある物語
<前編>





それはとある昔。
とある国での物語。





その国には、一人の愛らしいお姫さまがおりました。
父である王は早くに王妃を無くし、忘れ形見になった姫を、とても大切に思っています。 だから年頃になり、婚姻の話が 持ち上がったときでも、 できることなら、姫の意思を尊重してやりたいと思いました。
そんな姫の出した条件とは。


「おらに勝つ事が出来れば、嫁になってやるだよ」


かくて、国を挙げての武闘大会が行われる事になったのです。





「チチ〜、おめえ、本気で言ってるだか?」
「おっとうは黙っててけろ」
長い髪をきりっと一つに束ね、きっぱりと姫は言い切ります。やる気満々な様子に、 王は溜息をつきました。
ああ、死んだおっかあがこんな姿を見れば、なんて言うか…。 どうやら王は、恐妻家だったようです。
「そりゃ、 おめえに武術を教えたのはおっとうだけんど…」
王はその昔、偉い仙人様の元で、武術の指導を受けた事がありました。それを姫に教えたのは、 護身の為。しかし姫はなかなか筋もよく、今ではそんじょそこらの武闘家が束になって かかっても負けないくらい、強くなってしまったのです。
「しかし嫁入り前の娘っ子が、 顔に傷でもこさえちまっちゃあ…」
「だから、責任持って、結婚してくれんだろ」
おらに勝ったら。
普段は城の中に篭ることの多い姫君が、大会に出場すると噂も手伝い、 大会の話は各国へと広まって、参加者も沢山集まりました。
「なあ、チチ。おめえもしかして、好いた男でもいるんでねえか」
王であり、父でもあるその言葉に、ピクンとチチは、体を強張らせました。





実はまだ姫君がほんの幼子だった頃。一度内緒で城を抜け出した事があったのです。
初めて一人で見てまわる城下の町。目に入るもの何もかもが、姫にとっては 珍しいものでした。たくさんの人ごみに紛れて歩き回り、浮かれてしまい、 気がついた時姫は道に迷ってしまいました。
「…ここはどこらへんだべか」
周りを見れば、先ほどまでの華やかな町並みと違い、酷く閑散と薄汚れた 場所。どうも小さな女の子が一人で歩き回るには、不向きな場所のようです。
城の上から見下ろすのと、実際に歩き回るのとでは、やはり雲泥の差で。姫は 段々心細くなってきました。
とにかくここから抜け出そうと、 怪しげな場所をさ迷っていると。
「お譲ちゃん、どうしたんだい?」
一人の男が声をかけてきました。その上から下まで 値踏みするような視線に、姫はいやな感じを覚えます。
「道に迷ったのかい? ここら辺は迷いやすいからね」
「人のいる所に、連れて行ってあげようか」
もう一人、そちらの方から顔を出し、姫の行く手を遮るように立ちはだかります。 二人とも、何やら楽しそうに嫌な笑いを 口に浮かべていて、姫はぞくっと身を震わせました。
「おら、大丈夫だ」
そのまま大人二人の脇を通り過ぎようとした所。
「おっと、待った」
「ひゃあっ」
ひょい、と姫は小脇に 抱き上げられてしまいます。
「はなしてけろっ」
「お譲ちゃん、暴れたら、痛い目見るよ」
姫の身につける服は、一見して上質であると判るようなものです。 これはいい金づるになりそうだと、悪漢に判断されたのでしょう。
もがく姫を そのままどこぞへかどわかそうとした時。
「なあ、おめえら」
声をかけてきたのは、 姫とそんなに歳の差のないような、小さな子供。
「ここら辺、知ってっか?」
おら、どうも迷っちまったみたいでさあ。この状況も判っていないような、呑気な声で えへへと笑う。
「…何だ、この小僧は」
男達がそのまま、その男の子を無視して去っていこうとした時。
「たすけて」
小脇に抱き上げられた姫が、ぽろぽろと涙を流して訴えました。
それに 気がつき。
「なあ、おめえら。もしかして、悪い奴なんか?」
男の子は、間の抜けた問いかけをします。 がくっと男達の力が抜けます。
「その子、泣いてんじゃねえか。はなしてやれよ」
「うるせえ。消えろ、坊主っ」
もう一人いた男にそう怒鳴られたとき、むっと男の子の 目がつり上がります。
「悪い奴なんだな」
言うが早く、その子は腰を落として身を 構えました。大人たちは面白そうにそれを眺めます。
「何だ、子供の癖に、やろうってのか?」
大人の男の長い腕が、男の子に掴みかかろうとします。危ない。 思わず姫はぎゅっと目を閉じました。
しかし、次に上がったのは、ぎゃっと低い大人の声の悲鳴です。
ぱちっと目を開くと、 男はのびて、地面にひっくり返っていました。何が起こったのか判らず、姫は 瞬きを繰り返します。
「その子を、はなしてやれよ」
きりっとした目を向けて、男の子は 訴えます。
ぽい、と男は姫を放り出し、大股で歩み寄りました。
「このガキがっ」
殴りかかろうとした拳を彼は難なく避け、ひょいと大柄の男を飛び越えると、 そのまま後ろ首に手刀を叩きつけました。
軽い身のこなしで着地すると同時に、悪漢の 体もどさりと倒れこみます。そんな一瞬の出来事を、姫はぽかんと口を開けて 見ていました。
「だいじょうぶかあ?」
かけられる声は、ひどく呑気なもの。 地面にぺたりと座り込んだ姫を、人懐っこい目で覗き込みます。
「こ…ころしただか?」
まさか。あははと男の子は快活に笑いました。
「気ぃ失ってるだけだ。すぐに目ぇ覚ますさ」
よいしょ、と姫の手を引っ張り、 立たせます。
「いまの…武術だな」
おっとうのを見たことがある。
「うん。おら、 いろんなところを旅して、修行してんだ」
話を聞くとこの子は、 隣りの国で開かれる武闘大会に出場するつもりで、たまたまこの国を通ったそうです。
姫と男の子は、何とか元の道を探し、大通りに出ることが出来ました。 そしてそのまま、二人は日が暮れるまで、一緒に城下町を見物して遊びました。
日も傾きかけ、お別れのとき。
お別れも惜しく、お礼をしたいからと引き止めましたが、武闘大会の出場申し込みの締め切りに 間に合わないからと、彼は断ります。
「じゃあ、武闘大会が終わってから、 またここに来てくんろ」
「そうだな。もし来れたらな」
「おらな、チチって言うんだ」
ふーん、と目を丸くして、姫を覗き込みます。 思えば二人とも、今日一日お互いの名前さえ知らなかったのです。
「この名前で探してくれたら、きっとすぐ会えるだ」
「そっかー、おらは悟空。孫悟空ってんだ」
孫悟空。チチはその名前を、 何度も胸のうちで繰り返します。
「じゃ、おら行くな」
背を向けようとする 少年に、姫は慌てて声をかけました。
「きっとだぞ。きっと来てけれな」
泣きそうな目で訴える姫に、少年はまいったなあと頭を掻きます。
「わかった、チチ。きっと来るさ」
にっこり笑うと男の子は、そのまま背を向けて行ってしまいました。
「武闘大会、がんばってけろー」
「おーう」





その後。
隣国の武闘大会で、 優勝こそ逃したものの、やたらめっぽう強かった少年の噂を姫は聞きました。
でもそれ以来、少年の噂はとんと耳にしません。チチのもとにも来てくれません。
時を経て、ただ一つ聞いたのは。
「彼は神様の下へ修業に行ってしまった」
という奇妙な話。
姫の母親は、幼いときに神様のもとへ行ってしまったと、聞かされています。彼も 母と同じく、もう死んでしまった という事なのでしょうか。
その話を聞いたとき、姫はとっても悲しくて、 いっぱいいっぱい泣いてしまいました。








思ったより長くなったので
キリのいいとこで二つに分けました
(某キートン氏風に)後半へ、続く
2001.12.16







back