ANGELIC TONE
<7>





その日は朝早くから、部屋の呼び鈴が鳴った。
平日のこんな朝早くから、一体誰が 何の用だろう。眠る目を擦りながら、何とかベットから出て誰かを聞き。太公望は、 一気にぱっちりと目が覚めた。





「おはようございます、師叔」
朝から爽やかな笑顔を振り撒き、部屋の中に招き入れられた楊ぜんは、まだ寝巻き姿のままの 太公望の姿に苦笑した。
「まだお休みでしたか?随分お寝坊ですね」
貴媚さんは、 とっくに寮を出られたそうですよ。どうやら寮の誰かに聞いたらしい。
「昨日は、なんだか眠れなかったのだ」
ふわーと、色気のない欠伸を一つ。うーんと 体を伸ばし、脱力した。
「何か、悩み事でもおありですか?」
気遣う声にちらりと一瞥し、何となく逸らしてしまう。
「…まあ、育成のことを考えると、な」
曖昧に答えた。
とりあえず、来客を前に、いつまでも寝間着姿でいるわけにもいくまい。 まだ覚醒しきれていない身体を叱咤して、太公望は身支度を始めた。 楊ぜんにはとりあえず、部屋にある応接用のテーブルにつくように薦める。
くす、とひそやかな笑い声が聞こえ、太公望は振り返った。
「なんじゃ?」
「いえ…貴方の部屋にお邪魔したのは、初めてだなあと思って」
そりゃまあ確かに。
いつも執務室へ訪問するのは太公望の方だし、特別な用でもなければ、教官がこんなところまで 来る事などなかろう。
「可愛らしい部屋ですね」
「むー。別にわしの趣味ではないがな」
この部屋は、前女王候補が使っていたままの内装になっている。だからどうしても、 家具や、装飾は女の子らしいものばかりで揃えられているのだ。
のんびりと室内を見回す楊ぜんに、太公望ははたと思い出した。
慌てて、それでも 出来るだけさり気なく、チェストに向かう。そしてぱたりと、ひとつのフォトスタンドを 倒した。
玉鼎に貰った、楊ぜんの幼い頃の写真。
流石にこれを、楊ぜん当人に見られるのはまずかろう。
「…と、ところで、なんじゃ。 こんな朝早くに」
ぱたぱたと着替えの準備をしながら尋ねた。 流石に来客の前では失礼だろうと、ベットの天蓋を下ろし、その中でいつもの道服に着替える。
「貴方をお誘いに来たんですよ」
はあ?
太公望は幕の内で、間の抜けた声を上げた。
「以前約束してくださったでしょう?」
この聖地を案内してくれると。
「…そうだのう」
着替えが終わり、顔を出す。
「しかし今日は平日で…わしは育成をせねば なるまい」
「大丈夫ですよ、試験の方は」
一足先に、楊ぜんは 王立研究院へと顔を出してきた。太公望と貴媚の育成状況を確認して 来たのである。
今のところ、太公望の方が有利を誇っており、貴媚の育成は、 遅れが目立ってきている。惑星の安定値も充分だし、一日や二日、育成を休んだとて、 この状態に揺るぎはなさそうだ。
その上で、楊ぜんは、 こうして太公望のもとへやってきたのである。
「…そう、かのう」
「もしご心配なら、僕が後日、その分の学習をみっちりしてさしあげますよ」
げ、と一声。
それでも、少し視線をさ迷わせた後。
「…ま、良いか」
にこりと笑って、楊ぜんの誘いに頷いた。





聖地の案内と言われ、とりあえず二人は、一番メジャーな公共の庭園へと向かった。
日中の庭園は人の通りもある。通り抜ける人、のどかなひと時を楽しむ人。聖地の 憩いの場は、のんびりとした賑わいがあった。
それにしても…目立つのだろう、この男は。
すれ違う人のほとんど、ことに女性はさり気なく 隣の美丈夫に視線を送っている。まあ、確かに綺麗な顔立ちをしているな。 容姿の美醜に関して疎い太公望ですら、素直にそう思えた。
ちらちらと向けられる太公望の視線に、楊ぜんはにっこりと優雅な笑顔を返す。
「お腹、空いてませんか」
のんびり起きたのに押しかけたから、朝食を食べずに 出てきたでしょう。
庭園の奥には、こじんまりとしたオープンカフェがある。そこなら軽食も取れるであろう。





「太公望ではないか」
カフェで寛ぐ先客に、太公望と楊ぜんは目を丸くした。
そこにいるのは、 水の守護聖である竜吉公主。そして向かい側にいるのは、強さを司る炎の守護聖、燃燈であった。
とりあえず四人、同じテーブルを囲む。
「そういえば、お二人は、ご姉弟と伺ったことがあります」
「うむ。母は違うがな」
水の守護聖と、炎の守護聖が異母姉弟であることは、 聖地内では結構知られた事実であった。
それにしては、二人並んでいても、姉弟とはあまり思えない。 守護する力も、水と炎。姉弟、全く違う性質を司っている。
それでも、こうして二人でカフェでお茶をしているあたり、どうやら姉弟仲は悪くは無いようだ。
「太公望は、楊ぜんとデートか?」
からかうような光を瞳に映し、ひょいと覗き込む。
「デ、デートなんて大層なものではないよ」
太公望は、わたわたと手を振って否定する。
「僕がお願いしたんですよ」
まだこの聖地に慣れないので、いろいろ案内して欲しくて。楊ぜんはそうフォローする。
「そうか、教官たちは、この聖地に来て、 まだそんなに日が経っていないのだな」
エスプレッソを飲みながら、燃燈も声をかけた。
「ええ」
「教官を受け持ってみて、どうじゃ?」
楽しいですよ。
気負いもなく、楊ぜんは 笑って答える。
精神の教官としての話が持ち込まれたときは、正直あまり乗り気では なかった。しかしこうして聖地に来て、自分の指導が新しい宇宙に少なからず 影響を及ぼすということに、単純に興味がある。
それに。
「教え甲斐のある、女王候補も いらっしゃいますし」
ちらりと隣に座る太公望へと視線を送る。
「どういう意味じゃ」
「そのままですよ」
くすくすと洩れる笑い。
むう、と太公望は口を尖らせて、運ばれてきたケーキとパイをもしゃもしゃ食べた。 この女王候補、甘いものが大好きである。しかも小柄で細い身体であるにもかかわらず、一体何処に 入るのかと思うほど、よく食べるのだ。
「そういえば、太公望」
「む?」
「おぬし、森の湖には行った事あるのか?」
きょとんとする太公望の横、異母姉の言葉に、 燃燈は少し驚いたように顔を上げた。
「…いや、知らぬが」
宮殿と寮から そう遠くない距離の場所に、静かな森があるらしい。美しい湖もあり、この庭園とは また少し違って落ち着ける場所である。公主はそう説明してくれた。
そういえば、森があるのは 知っていたが。
「もし良かったら、二人で行ってみるとよいよ」
なかなかよいところじゃぞ。
その隣、炎の守護聖燃燈は、僅かに苦笑してカップに口をつけた。





「ほう。これは綺麗なところだのう」
太公望は、嬉しそうに声を上げた。
深い森に囲まれて、空気はひどく清々しい。聖地の中でも 一際澄み切ったようなそこは、まるで全てのものから大切に守られているように、 ひっそりとしていた。
人の声も喧騒も、ここまでは決して届かない。ただ、静けさを 際立たせるように、時折森の住民である小鳥が、澄んだ声を響かせている。
「のうのう、楊ぜん」
初めてやって来た場所に、太公望ははしゃぐように、その 大きな手袋をした手をぱたぱたと振って、楊ぜんを招き寄せる。
「見よ、滝じゃ」
無邪気に笑い、手袋を外すと、 流れ落ちる水流に小さな手を伸ばす。その冷たさに、ひゃあ、と声を上げた。
「随分綺麗な水だのう…魚もおる」
膝をついて、滝の作る川を覗き込む。 ゆらゆらと揺れる水面に、銀の鱗がきらめいていた。
「ほんとですね」
楊ぜんも、太公望に習って、その隣に膝をついて覗き込む。
「釣りとかしたら、やっぱり駄目なのかのう」
少々口惜しそうに呟いた。釣りは、太公望の趣味でもあった。
「…む?」
隣の楊ぜんに 振り返る。
どうやら肩を震わせ、口を抑えて笑いをかみ殺しているようだ。やがて、 こらえきれなくなったように、大きな声で笑い出す。
むーっと、唇を尖らせた。
「何でそこで笑うのじゃ」
「い、いえ。すいません…」
それでも笑いはなかなか収まらないようで。
こやつ、こんなに笑い上戸であったのかのう。不機嫌に太公望は睨みつけた。
「だって、聖地の湖で、女王候補が釣りって…」
「なんじゃ、別に殺生はせぬぞ。ちゃんと キャッチアンドリリースするわい」
「いえ…そうじゃなくて…」
どうやら更に、楊ぜんの 笑いを誘ったらしい。
むすっと頬を膨らませ、太公望は腕を組んだまま、彼の笑いが収まるまで 待った。
「本当に、貴方と一緒だと飽きませんね」
「どうせ、面白がっておるのであろう」
笑いすぎで滲んだ涙を拭く様子に、ぷいとそっぽを向く。
まさか、と楊ぜんは首を振った。
「すいません、気を悪くされましたか」
「…別に」
「良かった」
横目で見ると、本当に 嬉しそうにこちらを見ている。
そんな顔をされると、 何だかこちらの方が照れくさくて。太公望は目を逸らし、俯いてしまった。





寮につく頃には、もう空は桃色に焼けていた。
「今日は本当に、ありがとうございました」
寮の戸口の前、向かい合う。
「とても楽しかったです」
あなたと一緒で。
「うむ、わしも楽しかったよ」
にこにこ答える太公望を、 紫の瞳がじっと見つめ、ゆっくり瞬きする。
「また、ご一緒していただけますか?」
「うむ?わしでよければ構わぬが…」
「是非」
にこりと笑う楊ぜんに、何となくむず痒くなってしまう。何かを言おうかと 口を開きかけたとき。
「あーっ」
大きな声に、二人同時に振り向いた。そこには スープ―シャンのぬいぐるみを小脇に抱えた貴媚が、こちらを指差している。
「感性の教官!こんなとこにいるりっ☆」
ぶーぶーと、不満げに唇を尖らせる貴媚に。
「あ、いや…別に、二人でどうと言う事は、えっと…」
太公望は、言い訳めいた言葉を、 意味もなく 慌てて並べる。
だがそんな事など気にとめず。
「せっかく今日は、感性を学習しようと 思ってたのにー」
むすっと睨みつけられ、楊ぜんは苦笑した。
「ごめん、ごめん」
「もういいっ☆今日は品位の学習をしたりっ」
ぷいっと顔をそむけると、 ぴたっと太公望に寄り添った。この二人、案外仲が良いのだ。
「明日からは、 ちゃんと執務室にいるから」
そしてにこりと太公望に、笑いかける。
「また、執務室にいらして下さい」
待ってるからね。貴媚にも声をかけるが、 べっと舌を出されてしまう。どうも嫌われてしまったらしい。
それでは。ぺこりと丁寧に頭を下げて、楊ぜんはその場を後にした。
太公望と貴媚は、 見えなくなるまでその後姿を見送った。





「今日は太公望、さぼりっ☆」
「うむ…まあその、たまにはな」
「太公望と感性の教官は仲良しりっ☆」
「なっ!何を…」
「なっかよっし、なっかよっし♪」
「やめんか、その恥ずかしい歌はっ」








封神のアンジェリークパロって、
いつか誰かがしてくれるのではないかと、
密かに待っていたんです。
結局自分がしてしまいました。
2002.01.09







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