ANGELIC TONE
<9>





王立研究院には、霊獣が生み出した、新宇宙の様子が観察できる部屋がある。
立体映像のように映し出されたそこには、闇に浮かぶ新たな星達が、美しい 命の輝きを放っていた。小さなコントロールパネルを操作すると、その星がどの 守護聖の力によって生み出されたものなのか、どちらの女王候補の依頼によって 誕生したものなのか、詳しく判別できるようになっている。
じっとそれらを見つめながら、 太公望は小首を傾け、そして眉根に皺を寄せ腕を組んだ。





「これが育成の予測と観察のデータです」
カウンターに 座る周公旦は、無愛想に資料を太公望に手渡した。それを受け取ると、太公望はつぶさに 目を通す。
「…のう、ちと聞きたいが」
「何ですか」
「貴媚は、よく ここに来るのか?」
「ええ、いらっしゃいますよ」
もう一人の女王候補は、この 王立研究院へは、どうやら足繁く通っているらしい。目的は育成物、つまり霊獣の 観察の為。要するに、王天君には繁盛に会っているようだ。ついでに言うなら、 スープ−シャンにも、しょっちゅう会いに来るらしい。
ふうむ、と太公望は 口元に手を当てた。
太公望の能力値は、随分と上昇していた。
試験を始めた当初に与えられた力は、二回も守護聖に依頼をすればすっかり無くなってしまっていた。 それが、今は三回依頼できる程に増加している。
一方貴媚はと言えば、その 能力に変化が見られない。どうやら試験に優勢状態を保っている、太公望にのみ、 能力値が増えているようだ。
それも手伝い、現在太公望は、 貴媚に比べて一歩も二歩も余裕がある状況である。 唯一劣ると思われるのは、育成物との親愛度ぐらいなのではなかろうか。
別に太公望とて 霊獣と仲が悪いわけではない。だが、貴媚の方が、それ以上に王立研究院に通いつめ、親密を 深めている。
まあ、彼女は最初から試験云々よりも、 目当てはスープ−シャンであったようだから、納得すると言えばその通りではあるのだが。
それにしても貴媚とて、この試験に負けるつもりは無かろう。何と言っても、「スープ―との ケッコン」がかかっている(らしい)のだから。
だが、新宇宙に貴媚の生み出す 星が増える様子は見られない。王天君も、余裕のある口ぶりをしていたし、 なにやら作戦があると思っていたのだが。
「あやつら…何を考えておるのだ?」





さて。
本日の残りの予定は学習である。太公望は研究院を出て、学芸館にやってきた。
学芸館にある三つの執務室。 その一つ、「品位」を担当する教官の執務室の扉をノックした。しかし返事は いつまで経っても返ってこない。
どうやら不在のようである。 別に珍しい事ではない。依頼に訪れた執務室に守護聖や教官が不在だった事など、 良くある事だった。
仕方ないので、次は「精神」の教官の執務室を ノックした。しかしこちらも同じ。いつまで経っても返事は無い。
仕方ないのう…。
そんなわけで、逡巡しながらも太公望は、 「感性」の教官の執務室の前に立った。
感性の学習は 昨日したばかりだ。しかも先ほど王立研究院で貰った資料を見る限りでは、 そんなに偏って学習したつもりも無いのだが、感性の学習値は充分に上がっている。
…まあ良いか。
学習に「しすぎ」はなかろう。 余裕のあるうちに、値を溜めておけばよい事だ。
何となく言い訳のように自分の心にそう言い聞かせると、 ぎゅっと握った拳で、執務室の扉を叩こうとした。


―――が。


扉の向こうから微かに洩れ聞こえる声に、直前で押しとどめる。
どうやら教官が不在という事はないらしい。 ただし、どうやら先客がいるようだ。
どうしようかと、躊躇する。
来客がいるのなら、やはり ここは遠慮した方がいいのであろう。しかし他の教官は不在だし。ならば残った力で、守護聖に 育成を依頼したほうがいいのではないか?
合理的な考えは、幾らでも頭の中に浮かんでくる。
そう思いながらも太公望は、扉の前から動けなかった。
固まったように、そして無礼だとは思いながらも、 扉越しに聞こえる声に、つい耳を澄ませてしまう。
種類の違う、二人分のの声。
そこまでは 確認できるのだが、それが誰のものなのか、どんな会話をしているのか、 分厚い扉越しに判別はできなかった。
…何をしておるのだ、わしは。
うう、と唇をかみ締め、 視線を落とす。
さっさとここから立ち去ればいい。こんなところで、立ち聞きするような 浅ましい真似はするもんじゃない。
頭の中ではそれらが充分判っているのだが、 足が固まったように動かない。
とくんとくんと、自分の心臓が、やたら大きく聞こえる。
感性の教官、楊ぜんは、今誰と話しているのだろう。この執務室で、二人っきりで、 何を話しているのだろう。
ぎゅっと太公望は強く目を瞑った。
なんだって、こんなに 気になるのだ?
ぷるぷると首を振り、一つ、大きく深呼吸する。そしてきっと扉を睨んだ。
だって仕方ないではないか。
自分は女王候補なのだ。女王試験の為に、 感性の教官のもとで学習しなくてはいけないのは、どうしようもない事。 この執務室に来て何が悪い。
深呼吸を一つ。
太公望は、扉をノックした。
「…はい、どうぞ」
一拍の間を置いて返される声。こちらに向けられた声は、 会話でのものよりもやはり大きくて、それだけは 扉の外まで明瞭に聞こえた。
かちゃりと扉を開ける。
そっと室内を伺うように、ゆっくり 一歩入り込み。
「…あ、れ?」
そして太公望は、ぱちくりと目を丸くした。
「師叔、来てくださったんですね」
執務机から立ち上がった楊ぜんは少し驚き、そして 晴れやかな笑顔をこちらに向ける。
その前。
執務机を挟んで楊ぜんと対峙していたのは。
「望ちゃん」
緑の守護聖、普賢だった。





「あれ…普賢、おぬし…」
入室する太公望に、普賢はにこりと 笑う。
さっさと楊ぜんに背を向けると、太公望に歩み寄り、ぎゅっと手を握ってきた。
「学習に来たの?」
「…うむ」
「最近ちっとも、僕の執務室に来てくれないんだね」
拗ねたように覗き込む。
「だあほ。おぬしに頼んだら、依頼以上に力を送るであろうが」
半分の力でいいと言っているのに、その二倍も三倍も、普賢は力を送ってしまうのだ。 お陰で新宇宙には、やたらと緑の力から誕生する星が増えている。
「だって僕、望ちゃんには がんばって欲しいから」
僕が望ちゃんに出来るのは、これくらいだから。潤むような瞳で 覗き込まれると、それ以上の反論は出来なくて。
「その気持ちはありがたいがのう…」
「ほら。育成じゃなくてもさ、遊びにくらい、来てくれたっていいでしょ?」
「うむ…まあ、そうだが…」
ぱっと普賢は笑った。
「きっと来てよ。待ってるからね」
そう言って、普賢はぎゅっと太公望を抱きしめた。 背格好も近いからであろうか、何だか小さな子供がじゃれあっているような印象がある。 彼にそうされることに慣れているのか、太公望にも抵抗の素振りは無かった。
にこりと笑って身体を離すと、足取りも軽く、普賢は扉のノブに手をかけた。
「じゃあね、望ちゃん。待ってるから」
そして、 ちらりと楊ぜんへとその目を向ける。
「お邪魔したね、楊ぜん」
「…いえ」
どちらがという訳ではなく、何処か冷えた、棘の含まれた声。
ぱたん、と扉が閉められた。





普賢の去った後をぼんやりと見つめる太公望に、楊ぜんは微かに目を細めた。
気を取り直すように、小さく息をひとつ。
「今日も、いらして下さったんですね」
ぴくんと太公望の肩が跳ねた。
「あ、ああ」
振り返ると、優しい笑顔。
それを見ると、変に邪推していた自分が、 何だか気恥ずかしく思えてしまう。それを誤魔化すように。
「他の教官が、その、不在だったのでな。 えっと、感性の安定値は随分あるのだが、勉強に無駄は無かろう?だから、その…」
わたわたと、言い訳のように言葉を紡ぐ様に、 ふっと、楊ぜんは眉根を寄せて笑った。
「…そうですよね」
息をつき、視線を落とす。
「何だか、守護聖の方々が羨ましいですね」
小さな呟き。
「…何故だ?」
「惑星に力を送ることで、女王候補のお役に立てるでしょう?」
惑星を生み出すという、はっきりと目に見える形で。
教官から得られる学習の 力は、あくまでそれの補助のような形でしか表れない。
「…別に…その、おぬしだって、わしの力になってくれておるぞ?」
「そうですか?」
うむ、と頷く。
「教官との学習は、新しい宇宙を支える力になっておるし…」
それに。
「学習の為だけど…その」
少し拗ねたように唇を尖らせ、ぷいとそっぽを向く。


「わしは…この執務室に来るのは、嫌いではない、ぞ」


切れ長の紫の瞳が見開かれ。
それからゆっくりと、 堪えきれずに滲み出したような、嬉しくて堪らないというようなそんな笑みが、綺麗な顔を 鮮やかに彩る。
…何も、そんな顔をしなくても。
慌てるように、太公望は楊ぜんを睨んだ。
「別に、嫌いじゃないだけなのだからなっ」
「はい」
心得ているとばかりに 頷く。その、何かしら見透かされたような顔に、むーっと唇を引き締めた。
「わ、わしは学習をしに来たのだっ」
頼むぞ、感性の教官殿。
わざと場の空気をすり替えるように声をあげると、執務室にある学習用の机へと向かう。
そんな背中に、くすりと楊ぜんは笑った。
「はい、そうですね」
テキストを手に、隣の椅子に腰を下ろす。
「しっかり学習しましょう」
自分で口にした その言葉に、「…いえ」と笑って、すぐ否定した。
「いつもと同じで…いいですよね」
意欲を削ぐような言葉に、きょとんと太公望は目を丸くして見つめ返した。
「何故だ?」
「だって。あんまりしっかりしてしまったら、感性の学習値が上がってしまうじゃないですか」
それの何処が悪いのだろう。心底不思議そうな太公望に。
「そうしたら、 この執務室に来るのに、間が開いてしまうでしょう?」
大きな目を、もう一回り大きくさせて。ぷいとそっぽを向くように、 太公望は手元のテキストに視線を落とす。
「…だあほ」
独り言のような小さな小さな声。
「しっかり学習したいですか?」
「…いつもと同じでいい」
「よかった」
感性の教官は笑みを深くした。





「べ、別に、わしは怠けるのが好きなだけなのだっ」
「判ってますよ」
「むー、そんな顔するでないっ」








もし楊ぜんさんが守護聖さまだったら。
「望ちゃんの宇宙は、楊ぜんさんの星だけで埋まる」
に一票。
2002.01.28







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