ANGELIC TONE
<10>





ばたばた。勇み足で宮殿の廊下を走る。
その勢いのまま、目的の執務室の扉を乱暴に叩くと。
「こら、普賢!」
返事も待たずに、太公望は執務室の扉を全開にした。
執務室にいたのは緑の守護聖、普賢真人。突然の太公望の来訪に、 驚く事もなく満面の笑顔を向ける。
「望ちゃん!」
執務机から立ち上がると、走り寄り、 飛びつくようににぎゅっと抱きついた。
「嬉しいな、来てくれたんだね」
待ってたんだよ。
心底嬉しそうにはしゃぐ守護聖に、つい気圧されてしまう。しかし、慌てて首を振ると、普賢の肩を 掴んで身体を引き剥がした。
「そうではない。おぬし、何考えておるのだ」
怒ったような目に、 普賢は不思議そうに瞬きする。どうやら、太公望の怒りの原因が、思い当たらないらしい。
ぺし、と太公望は、手にあったデータファイルを手渡した。
王立研究院から 配布される、育成の予想と結果を綴じたものである。ぺらりと普賢はそれをめくった。
「おぬし、育成の依頼をしていないのに、宇宙に力を送ったであろう」
むすっと 唇を尖らせ、腕を組んで仁王立つ。そこでやっと、普賢はああ、と納得した。
「なんだ、そんなことか」
「そんなこと?」
片眉と語尾を吊り上げ、不機嫌に太公望は 言い放つ。
新宇宙における太公望の作った星達は、現在順調に増え続けている。 こまめな学習が功となったのか、安定値も申し分ない状態だ。だから今日は 育成や学習を休んで、霊獣と新宇宙の様子を見に行ったのである。
そこで初めて気が付いた。
先週から一度も依頼をしていないはずなのに、緑の守護聖の力を受けた惑星が、 随分増えているのである。
最初は貴媚の依頼の成果かと思ったが、そうではない。 研究院の周公旦 にデータを受け取ったとき、確信した。
間違いなく、これは守護聖が独断で、新宇宙に 力を送っているのだ。
「おぬし、仮にも守護聖であろう。 育成の依頼もなく、そのような勝手をして良いのか?」
うーん、と普賢は小首を傾げてみせる。
「でも、これで望ちゃん、随分有利になったでしょ」
邪気のない言葉に、力が抜ける。
「そういう問題ではなかろうが」
肩を落として溜息をつく 太公望に、にっこり笑った。
「大丈夫だよ、これくらい」
ぱたんとファイルを閉じ、はいと 返す。太公望はこめかみに手を当てながら、それを受け取った。
「大丈夫って…おぬし」
「以前、雲中子にも、教えてもらった事あるでしょ?」
女王試験において、守護聖や 教官との友好関係も、また重要な要素になることを。
「…だからといって」
それが正規の手段だとは思わない。
普賢の言い分が尤もだとて、 自分の実力以外のものが加わったのだ、後味の いいこととは思えない。
不満いっぱいの表情に、溜息一つ、 普賢はきりっとした目を向けた。
「そんな事にこだわってる時じゃないんだよ、望ちゃん」
今は大切な、女王試験の 真っ最中なのだ。
「新宇宙の星たちは、生命を持っているんだ」
今こうしている最中でも、新しく生まれた 星は命を育んでいる。それを「生み出すもの」が、躊躇するわけにはいかない。 その迷いが、生まれたばかりで不安定な新宇宙のバランスを、いつ崩す事になるか判らないのだ。
「虚栄心も大切だけど、今の望ちゃんにそれは不要でしょ?」
きっぱりと言い切る様に、容赦はない。
「今は僕たちを犠牲にしてでも、女王試験に勝たなきゃ…それが求められているんだよ」
それに、と付け加える。
「試験には、こんな事も、充分予想の範囲なんだよ」
現に、 周公旦からは、何のお咎めも来ない。
育成を研究して、 その細かなデータを取っている彼が、この事を見逃すはずが無い。その上で何も 問題ないと黙認されているのなら、既に暗黙に認知されているといっても、過言じゃなかろう。
「大体望ちゃんだって、こうでもしなくちゃ、全然僕の執務室に来てくれないじゃないか」
つん、と拗ねたようにあちらを向く普賢に、太公望はかくりと首を垂れた。それが本音か?
「だからそれは…」
必要以上に力を送る為、緑の力を依頼する必要が無いからに過ぎない。
その上で、依頼もないのに更に力を送られているのだから、ますます足が遠のいてしまうのだ。
「感性の教官の執務室には、よく通うのに」
「…なんじゃ、それは」
むっと 太公望は唇を尖らせる。
「だってそうでしょ?この間だって、来たじゃないか」
どうやら先日、鉢合わせた時のことを言っているらしい。
「仕方なかろう。育成依頼と違って、 学習は怠けてしまうと、せっかく生まれた星が消えてしまうのだぞ」
「あーあ。僕も守護聖じゃなく、教官だったら良かったな」
大袈裟に溜息をついて見せ、 くるりと背を向ける。
「そうしたら、望ちゃん。もっと執務室に通ってくれるのに」
学習の為とは言え、定期的に通わざるを得なくなるのに。
「…おぬしなあ」
溜息をつきたいのは、こっちだっつーのに。
しかしそれにしても、どこかで聞いたフレーズだ…。
「…もしかして、おぬし楊ぜんと仲が悪いのか?」
すとん、と普賢は、執務室にあるソファーに腰を下ろした。
「さあ?」
興味なさそうに小首を傾ける普賢の、その向かい側に太公望も腰を落ち着ける。
「宮殿と学芸館と、離れた場所にあるし。そんなに顔を会わせるわけじゃないから、正直な所、 よく判んないけど」
だが太公望の目から見ても、普賢と楊ぜんは、あまり 相性が良いようには見えない。
根本的なところで、考え方が違う二人だ。 それを認め合う事さえ出来れば、逆にものすごく仲良くもなりそうなのだが…。
「望ちゃん、楊ぜんと仲が良いみたいだね」
「…さあ、よく判らんが」
ふうん、と何か物言いた気な視線が投げられる。
「感性の学習に、良く行くじゃない」
「別に…三つの学習は偏らずにしておるぞ」
「前の占いの時だって、楊ぜんとは 相性が良かったよね」
そうだったのだろうか?
普賢と占いの館に行ったとき、 確かに相性を占ってはもらっていたのだが。その時は、貴媚との相性に気を向けていたからか、 他の守護聖や教官との相性は、全体的に悪くはないとしか記憶になかった。
「気をつけなよ。彼、結構女遊びが激しいって噂があるから」
「…そうなのか?」
「噂だけどね」
望ちゃんは可愛いから、ほんとに心配だよ。
よよよ…と 大袈裟に涙を拭う仕草をしてみせるが、太公望に言わせれば、それはむしろ、お互いさまな訳で。
「…おぬしもな」
とりあえず、忠告しておいた。





しかし、どうしたもんかのう。
溜息をつきながら太公望は、宮殿の廊下をてくてく歩く。
その小さな背中に。
「よっ。女王候補殿」
ぽんっと肩を叩かれて振り返る。
人懐っこい笑顔の、精神の教官、黄飛虎だった。どうやら丁度、風の守護聖の 執務室から出てきたところであったらしい。
「どうした、溜息なんかついて」
勿論、精神の教官も二人の女王候補の育成の状況は把握している。太公望の順調な 様子を見ていると、溜息など不自然に思えるのだが。
「むー、大したことではないのだが…」
次の言葉を言いよどむ。その様子に、ぽりぽりと、飛虎は鼻の頭を掻いた。
「言い難いことみてえだな」
「…そういう訳でもないのだが」
言い難いというよりは、説明しにくい部類に入るのかもしれない。
口をつぐむ様子に。
「悩みがあるんだったら、占いでもしてもらっちゃどうだ?」
少女のような発想に、きょとんと太公望は飛虎を仰ぐ。
「父親の俺が言うのもなんだけど、 天祥の占いはよく当たるしな」
おまじないや占いといえば軽く聴こえるが、実際 それなりの効果も成果もあり、決して侮れない。 それは王立研究院で、既に実証済みだ。太公望とて、天祥の能力を疑ったり、 蔑ろにする気は全くない。
「…そうだのう」
確かにそれも、一つの手かもしれない。





「あ、たいこ−ぼー」
占いの館に入ると、元気な笑顔で出迎えるのは、 ここの主、天祥。
そしてその隣。こちらを振り返るのは。
「なんだ、君か」
珍しくも怠惰スーツを脱いだ夢の守護聖、太上老君だった。
流石に驚き、目を瞬かせる。
「め、珍しいのう、おぬしが 起きておるのも」
たまにはね。
言いながら、欠伸を漏らす。
「で、君は何。おまじない?」
その言葉に、天祥は目をきらきらさせた。
「たいこーぼー、誰か好きな人できたの?」
うっと、言葉が詰まる。
多分天祥自身は、深い意味のない言葉であろうとは、 推測できるのだが。
「あー、いや、そうではないが」
「あ、でも、たいこーぼー、もうあんまり力が残っていないよね…」
残念そうな声。
今残っている力では、おまじないをするまでにはいかない。
「良かったら、僕が取り持ってあげようか?」
眠たそうにとろんとした目で、 太上老君が提案する。
「へっ?」
「誰かと仲良くなりたいんだろ?だったら、 さりげなーく、手回ししてあげても良いけど」
別にそれぐらいなら、 わざわざ守護聖の「力」を使わずとも、 何らかの会話の折にアピールさせておけば良い事だ。
少し考え、こくりと太公望は 頷いた。
「頼む」
「で、君は誰と仲良くなりたいわけ?」
「わしではなく…普賢と、楊ぜんを」
きょとんと太上老君と天祥は目を丸くした。
「頼めるか?」
「判ったよ」
ふっと太上老君は笑みをこぼした。





「優しいんだね、君は」
「…別に。守護聖や教官同士が仲が悪いと、こちらがやりにくいだけなのだ」
「はいはい」








老太にあらず。念のため。
楊普楊にもなり得ません。ええ、絶対に。
2002.02.08







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