ANGELIC TONE
<17>





「ご主人は、最近良く会いに来てくれてるっス」
王立研究院にある育成物との対面 の部屋にて、四不象は嬉しそうに笑った。
「そうかのう」
「そうっス、嬉しいっス」
確かに。少し前は育成やら学習やらで忙しく、毎週観察を決められた、 土の曜日ぐらいしか会いに来る事が出来なかった。
寂しい思いをさせてしまったかな。それを思うと、こまめに四不象に会いに来ている 喜媚には、本当に感謝していた。
「喜媚さんもご主人も、女王試験、頑張るっス」
ご主人、あと少しっスよ。
嬉しそうな四不象のその言葉に、太公望は苦笑した。





新しい宇宙には、沢山の惑星が生まれた。
太公望の私見ではあるが、女王候補試験は、 間も無く終わりを告げるであろう。 もしも、新宇宙に誕生させた惑星の数が試験の優劣を決めるのであるならば、現状況で 喜媚に逆転の余地はもう残っていない。


そして。
新たな女王が誕生するのだ。





ぱさり、と感性の教官はプリントを置いた。
「じゃあ、次はこれをやってみようか」
「えー、またあ?」
ぶーぶーと文句を言う女王候補、胡喜媚に、楊ぜんは溜息をつく。
「あのね。本当はこれ、今日までの宿題だったはずだよ」
呆れた声を上げるが、 喜媚はべたっと学習机に脱力したまま、足をばたばたさせて唇を尖らせた。
「つまんないー☆」
一体、誰の為の学習なんだか。
学習にはそれなりに向き不向きもあるだろう。 しかしそれ以前に、どうもこの女王候補からは、真剣に学習をする意欲が見られない。
「そんな事じゃ、立派な女王にはなれないよ」
この学習は、女王試験で 優秀な成績を収める為だけのものではない。女王となって、宇宙を統べる為にも、 とても大切なことなのだ。
「喜媚、女王にならくてもいいもん☆」
全く、この女王候補は。
「何を言っているんだい」
この聖地には、女王試験を受ける為、つまり女王になる為にやって来たはずである。 的の外れた喜媚の言葉が、楊ぜんには理解できない。
「喜媚、スープーちゃんと結婚する為に、女王試験を受けてるもん」
「…君ねえ」
「女王になったら、スープーちゃんと、結婚できなくなりっ☆」
無邪気とも言える喜媚の言葉に、一瞬楊ぜんは目を見開いた。
「皆の為の女王になったら、スープーちゃんのものになれないっ☆」
どきん、と胸が鳴った。
一瞬言葉を失った楊ぜんに、 喜媚は追い討ちをかける様に続ける。
「感性の教官はいいのっ?」
「…え」
「太公望が女王になってもいいのっ?」





王宮にある執務室の前で、太公望は立ち尽くしていた。
試験が開始された当初は、育成物に会いに行けば、一日分の力をすべて消耗してしまっていた。 しかし能力値の上がった現在では、さらに育成にも学習にも行けるだけの力が充分残っている。
四不象が言うには、現在新宇宙は誇りの力を求めているらしい。
光の守護聖には、先週にも育成の依頼をしていた。 恐らく今回の依頼で、新たに惑星が生まれるであろう事が予想される。
惑星が誕生すれば、新宇宙も更なる発展を遂げるだろう。やはり、 欲求に答えてやらねばならないのが、女王候補としては望ましいのだが。
だが…。
うーむと悩むその背後。
「何をしている」
「どわあっ」
振り返ると、 いつの間にやら光の守護聖が立っていた。
「お、おぬし、出かけておったのか?」
「ああ。王立研究院に、少し用事があってな」
執務室の扉を開き、 聞仲は女王候補を中に促した。
「最近は、随分忙しそうだのう」
「こんな時期だからな。仕方あるまい」
女王試験も佳境に入った今、 守護聖筆頭の立場上、それなりに急務が増えるのは当然だろう。
「で、今日は何だ」
育成依頼か。執務机につきながら尋ねる聞仲に、 太公望は歯切れ悪く頷いた。
「判った。私の力を、どれぐらい送ればいい?」
「…そう、だのう…」
もそもそとした声、何処か煮え切らない態度。この女王候補にしては珍しい その様子を不思議に思いながら、聞仲は手元にあった現新宇宙の観察資料に目を通した。 何だ、光の欲求の値が、随分高いではないか。
「お前の今持つ力、全てを使って、誇りの力を送るか?」
何気の無い提案に。
「いや、半分でいいっ。余計なことはするなっ」
咄嗟に声を上げた。
勢い余って身を乗り出す太公望に、二人目を合わせたまま、微妙な間と空気が漂う。
「…あー、いや、すまぬ。ちっと気になることがあるのでな、 その…じっくり考えたいのだ」
出来るだけ、現状から形を変えない状態で。
「…判った」
我ながら、取ってつけた様な言い回しだと思うが、 聞仲はそれ以上突っ込むこともなく承知した。





香ばしい香りの立つコーヒーカップを受け取り、太公望は広い執務机の端に腰をかけた。 女王候補としてあまりお行儀よろしいものではないのだが、守護聖筆頭はそれを目の端に、 何も言わずにデスクについて書類を広げる。
「…大変そうだのう、守護聖筆頭というものも」
あれやこれやと積まれた書類の束は、 一時期に比べ随分と増えているようである。やはりこれも、女王試験の 終了が近いからだろうか。
「女王になった暁には、お前はこれ以上に大変になるぞ」
げっと太公望は顔をしかめた。
「わしはだらだらしたいのう」
「そうも言っていられまい」
むう、と拗ねたように、太公望は頬を膨らませた。
そして、受け取ったカップに唇を寄せて、数秒。
「苦い」
うえー、と太公望は舌を出した。
「エスプレッソは苦いものだ」
それでも、甘党で知られる女王候補の為、随分と砂糖とミルクを多めに入れている。
「おぬし、こんなのをいつも飲んでおるのか?」
「嫌なら残せ」
依頼の後、「光の守護聖の淹れたエスプレッソは、非常に美味いと評判だのう」とにやにや 笑いながら強請ったのは、女王候補だ。
「飲む」
ぷい、とそっぽを向いて、 ずずっと太公望はエスプレッソを啜る。しかしその度に、カップからすぐ口を離し、 いかにも苦そうに顔をしかめていた。
全く、律儀なのか意地っ張りなのか。 何もそんなに無理をして飲まなくてもいいのだが。
聞仲は、ふう、と息をつく。
「何かあったのか」
「…何か、とは?」
「最近、惑星の誕生が停滞している」
王立研究院のデータを見ている限り、 学習による安定値に全く問題は無い。女王候補の能力が減少するわけでもなく、 新宇宙に送った力を奪うような依頼の記録も無かった。なのに、新たな惑星の誕生が、 遅々と進んでいないのである。
先刻の依頼にしても、「気になる事がある」 と口では言ってはいるが、とてもそんなものがあるとは思えない順調ぶりのはずなのだ。
「…お前は十二分な成績を残している」
それは、現在の優勢を見れば、 誰もが納得することだ。生まれる惑星の数も、バランスも、安定値も、誰一人 太公望に苦言するものはいないだろう。
「だからこそ、最後まで頑張って貰いたい」
女王試験は過去に幾度となく行われていたが、今回のように、新たに生まれた 宇宙を育成させると言うケースは、実は今回が始めてである。
だからこそ、試験が終了し、新惑星が完成されるとどういった作用が生み出されるのか、 完全に未知数なのだ。
「お前はきっと、皆に慕われる、いい女王になるだろう」
真っ直ぐ、女王候補を見て、守護聖筆頭は言った。
「私も、期待している」
気を抜かず、最後まで頑張って欲しい。
その言葉に、女王候補は複雑な目をした。
「…で、私に何を話したいのだ」
「えっ」
「エスプレッソが飲みたいだけではなかろう」
わざわざそんな口実を作って、ここにいるのだろう。
何処か楽しそうに、微かに笑みを含めた 聞仲に言葉。それに、まいったのうと頭を掻く。まあ、この守護聖に、下手な誤魔化しは 通じないとは判っていたが。
少し躊躇し、思い切ったように、改めて聞仲へ 顔を上げた。
「実はちと、聞きたいことがあったのだ」





「喜媚ではないか」
「太公望っ☆」
王宮を出て、のんびり寮へと戻る道の途中、 ばったりライバルの女王候補に出くわした。
「今日は学習に行っておったのか」
「うんっ☆」
二人並んで、寮へと足を向けようとしたが。
「喜媚、占いの館へ行きっ☆」
寮へと向かう道と占いの館へと続く道の分岐点で、 喜媚は足を止めた。どうやらまだ、力が残っていたらしい。
「そうか。天祥によろしくのう」
「また、夕食の時にねっ☆」
元気いっぱいに手を振ると、ステップを踏むような足取りで、 喜媚は占いの館へと走っていった。
その後姿を見送り、太公望は一足先に寮へと帰宅する。





「あー、いらっしゃい、女王候補さん」
「今日もお願いするっ☆」
「うん。いつもと同じ、おまじないでいいの?」
「うんっ☆」





「今日は、たいこーぼーと誰にする?」








喜媚と天祥のこの会話を出すまでに
どれだけ時間をかけたんだ、自分…;
2002.10.20







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