ANGELIC TONE
<20>





朝、女王候補の女子寮。
胡喜媚は、太公望の部屋のチャイムを鳴らす。
返事の返ってこないチャイムを、その日も喜媚は、何度も何度も鳴らし続けた。





地の守護聖、雲中子は片眉だけを吊り上げて、奇妙な顔で女王候補を見た。
「なんだい。それは女王候補としての、依頼、ってわけ?」
「依頼で可能ならば、 それでかまわぬ」
出来るのか?期待に満ちた、女王候補の眼差しを一瞥。
「無理だね」
あっさりと地の守護聖は首を振った。落胆を如実に表した女王候補の様子に、 雲中子は軽く息をついた。
「大体。そんな依頼なら、ここじゃなくて、 占いの館のお坊ちゃんにお願いするのが筋だろうに」
「…いや、天祥にも無理だと言われたのだ」
だから、ここにやってきた。知識を司る守護聖ならば、 それなりの知恵を拝借できるかもしれないと思ったのだが。
「やはり…どうしても無理なのかのう」

――― 教官や守護聖との相性値を、初期化することは。

「まあ、少なくとも聞いた事は無いね」
育成の妨害、じゃ駄目なのかい?
育成依頼には、 ライバルの惑星から、与えた力を元に戻す、そんな手段もあるのだ。
雲中子の申し出に、しかし太公望は首を振った。
「ま、どうしてもって言うんなら、少なくとも守護聖に頼むのはお門違いだよ」
相性値や親密度は、占い師である天祥の管轄だ。むしろ守護聖や教官は、 対象とされる立場である。操作できるのなら、逆に大問題になってしまうだろう。
そうか。呟きを洩らすと、女王候補はさっさと背中を向けた。
「なんだ、育成依頼に来たんじゃないのかい」
最近、惑星誕生の速度が、少しばかり遅いみたいだけど。
「…邪魔したな」
落胆を隠さず、そのまま地の守護聖の執務室から出て行った。
閉じられた戸口を見つめ、 雲中子は軽く肩を竦める。
相性値の初期化ねえ。
「第一、論理的に考えて、出来る訳ないじゃないか」
あの女王候補は、何か勘違いしているんじゃないのか?





公園の人目に触れにくい木陰に座り込み、太公望はファイルからプリントを取り出した。
「何なのだ、これは」
二枚のプリントを見比べ、不貞腐れた声を上げる。
初めて天祥に依頼した占いの結果と、昨日の占いの結果。 異常とも思えるその数値の違いに、太公望は重く溜息をついた。
太公望が一番最初に占ってもらったのは、既に育成物が一次成長を遂げた後、 教官たちが招集されて学習が始まった以降だ。恐らく、その頃には既に、 喜媚は太公望の相性を画策していたのであろう。
「…聞仲に…天化もそうだな…」
二つの結果に、著しい差が見られるのは。
老子と燃燈も、僅かばかりだが上昇している。普賢や玉鼎、竜吉公主も高い数値だが、 以前と然程の違いがあるようには見えない。とは言え、果たしてそれが最初から高かったのか、 既に高められた後なのか、太公望には判断出来なかった。
それに、もう一人。
「…楊ぜんもか」
きゅっと唇を噛み締める。
喜媚は、自分の目的に従い、自分の力を使ってここまで女王試験を進めた。それだけだ。 その事を太公望が責めるなんて、筋違いであろう。
ただ辛いのは、 そんな理屈では割り切れない、感情の部分。
異常に高くなった相性値。
それに比例した親密度。
「…だから…なのか?」
普賢に告白されたのも、皆がいろいろ良くしてくれたのも。
「全部…それが理由なのか?」
楊ぜんも。
そして、自分の気持ちも。





感性の教官、楊ぜんは、育成物観察の部屋を出ると、何処か重い足取りで、廊下を歩いた。
いつの間にか、王立研究院に来ると、まるでそれが規則でもあるかのように、 新宇宙の状態を観察するようになっている。
今日も、新宇宙に変化はなかった。 その事にほっと息をつき、そしてそんな自分に嫌悪し、同時に 焦りにも似たやり切れない感情に苛まれる。
新宇宙が満ちるのは、時間の問題だろう。
今日は何事もなくても、明日はどうなるか判らない。 ただでさえ、あの人は、聖地の皆に慕われているのだ。依頼以外の育成など、 今では大して珍しくはない事は、楊ぜんだって知っていた。
太公望の女王候補試験合格は、 間違いなかろう。
英知に秀で、何よりも皆に慕われる気質の彼は、女王として相応しい存在だ。 太公望が女王になれば、まだ不安定なあの新宇宙も、素晴らしい発展を見せるに違いない。
でもそうなると、彼は。
彼は…。


ふと、楊ぜんは足を止めた。
顔を上げ、視線を向けるのは、育成物と女王候補が対面する部屋。 扉越しに洩れてくる会話は、何やらあまり穏やかなものではないようだった。
言い争いにも聞こえるが、どうやら激昂しているのは一方だけで、 もう一方の声はあしらう様な投げやりさが感じられる。 四不象と太公望が漫才じみた喧嘩をするのは、この王立研究院ではそれなりに有名で、 珍しいものでない。しかし、ここは確か王天君の部屋だ。
何かあったのかな。
そう思った途端、扉が思い切りよく開かれた。
「王天君、嫌いりっ」
捨て台詞を吐いて部屋から飛び出したのは、もう一人の女王候補、胡喜媚である。
走り去ろうとするところ、扉のすぐ傍にいた感性の教官に衝突した。
「ろりっ☆」
「…っと、大丈夫かい」
転びそうになった女王候補を支えると、 きょとんとしたように、彼女は楊ぜんを見上げてくる。
びっくりした表情ににこりと笑って見せると、大きなどんぐり目に、みるみると涙を浮かんできた。 えっと驚いて声をかけようとするが、それより早く、喜媚は楊ぜんの手を振り払い、 走って行ってしまった。
残され、呆然と見送る横で。
「ったく…人の話は、最後まで聞けっつーの」
開けっ放しの扉の奥から、 うんざりした様な声が洩れてきた。
振り返ると、親指の爪をかじりながら、 育成物、王天君が開けっ放しの扉を閉めようと、こちらにやってくる。
「喧嘩かい」
「さあな」
けっと舌打ちする態度に、感性の教官は眉を潜めた。
「…あんまり、女の子を泣かすもんじゃないよ」
「うっせーよ」
そんな事を言ってるから、たらしだの、女遊びが激しいだの、適当な噂が流されるんだよ。 ぶちぶちと愚痴りながら、毒々しいエナメルが塗られた青白い手が、ドアノブにかけられる。
「…ったく、俺はいっつも悪者かよ」
ちぇっと舌打ちと共に、独り言のように零れた台詞。
いつも?何の事だろうと瞬きをする楊ぜんに気が付き、王天君は、 はぐらかすように視線を逸らせた。





「王天君…何を考えている」
「ダセッ、んな事教えるわけねぇだろ」





ばたんと扉が閉められた。








どんなに仲良しだからって
それが恋愛に繋がるとは限りません
2003.01.18







back