ANGELIC TONE <21> 感性の教官、楊ぜんは、ここ数日の新宇宙の育成記録のファイルを眺めながら、 小さく息をついた。 女王候補、太公望の育成状況が、 妙に停滞している。 王立研究院から新宇宙の状態を見ている限り、 新宇宙に目立った進展は感じられない。しかしそれは、見るものが見れば、 わざと変化をさせないように、故意に考慮されたものもだと推測できた。 あの女王候補は現在、守護聖には育成依頼をせず、 学習で安定値のみの上昇をさせ、新宇宙に負担の無い現状維持を留めさせているのだ。 彼には何か、策でもあるのだろうか。だが、そう考えるにしては、この学習の偏りは何だろう。 学習力を高め、もう少し安定値を上げるつもりなのだろうか。 しかし現状を見る限り、安定値に申し分は全く見当たらない。それに、 本当に安定値を上昇させるつもりなら、もっと三つの学習のバランスを考えるだろう。 この様子、どう見ても感性の学習、つまり楊ぜんの学習時間が、極端に少ないのだ。 避けられているのかな…そう思うが、どうも心当たりが見当たらない。 それに本当に避けているのなら、さっさと惑星を誕生させ、女王試験を終了させる方が、 よほど早くて効率的だろう。 幾度となく、女王候補の寮へも足を運んだ。 しかしどうも、朝早くから寮を出かけているようで、いつも不在である。 寮の者に話を聞くと、どうやらもう一人の女王候補、 胡喜媚さえも、太公望に会えないほどらしい。 女王試験が終了するまでの期間は、どうみてもあと僅かしかない。 そのささやかな時間だけでも、せめて一緒に居られたら。そう思っているのだが、 どうやら相手は違うのか。 少し前にも、似た事があった。 あの時はむしろ、楊ぜんが女王候補を避けていたのだが。 実際、こうして逆の立場になってみると、理由も判らず避けられている辛さというのが、 身に沁みた。あの人も、僕が避けていた間、こんな思いをしていたのだろうか。 申し訳なさでいっぱいになって。でも、原因が判らないので、どうして良いのか判らなくて。 堂々巡りの思考に、こうなったら、誰かに相談でもしようかと思った頃。 ピンポーン。 久しぶりに鳴ったチャイムに、感性の教官は飛び上がった。 返事よりも早く戸口へ向かい、 自ら執務室の扉を開く同時に、思わず口をついて出た名前は。 「師――」 しかし、そこに佇む小さな姿に、それは尻すぼみに消える。 「君は…」 泣き出しそうな、でも何か決意に満ちた瞳で見上げてくるのは、 もう一人の女王候補、胡喜媚であった。 「んじゃ、今日の学習は、ここまでにしとくか」 精神の教官、黄飛虎の言葉に、太公望は教科書を閉じた。 どんなに気まずい何かがあろうとも、女王試験は現在進行形で、進められている。 新宇宙は命を育み、それを任されている以上、たとえ何ががあろうと、 ないがしろにする事は許されない。 特に学習は、 怠ると安定値が減少し、折角誕生した惑星が消滅してしまう可能性さえあるのだ。 何があっても、それだけは避けなくてはいけない。 「最近、学習のバランスが崩れているな」 「…まずいかのう」 「まずかねえけど」 ま、何だな。がしがしと頭を掻く。 不器用で大雑把に見える精神の教官は、 意外に程に気配り屋で人を見る目がある。何か含みがある言い方は、 この女王候補の最近の育成状況の違和感に、気が付いているのだろう事を匂わせた。 「ま、もう少しで試験も終わりそうだし…お前さんの、やりたいようにやりゃあいいよ」 出会った頃から変わりない、懐の深さを感じさせる笑顔に、太公望は何処かほっとした。 手持ちのデータから見るに、精神の教官と品性の教官には、 初期の頃から殆ど相性値に変化はなかった。 恐らく、王天君の入れ知恵なのだろう。 守護聖達は親密度が上がると、依頼等で宇宙に送る力が無意識に水増しされ、 惑星の誕生が促進される場合もある。しかし、教官と親密度が上がっても、 宇宙の安定値が上昇するだけ。適度に安定を考慮さえしていれば、女王試験の勝敗に、 特別な影響を及ぼすものではないのだ。 では。 何故わざわざ、感性の教官のみ、 喜媚は相性値を上昇させたのであろう。 「感性の教官と、何かあったのか」 ぎょっと顔を上げる太公望に、精神の教官は小さく苦笑した。 「何故、そう思う」 「いやあ、まあ、な」 どうやらこの女王候補、 学習中にも時々隣室への壁に視線を向けていた自分に、気が付いていないらしい。 第一、最近の学習のアンバランスさを考えれば、一目瞭然であろう。 まあ、何があったかはしらねえけど。そう前ふり。 「もうすぐ試験も終わりそうだし… それまでにはあれだ、仲直りしたほうがいいぞ」 視線を落としたままの女王候補から、 返答は無い。 ふう、と武成王は息をついた。 「何だ…守護聖と違って教官ってのは、 試験後に聖地を離れるかも知れねえからな」 そのまま、サヨナラってのも寂しいだろ? 「そうなのか?」 精神の教官の言葉に、太公望は勢い立って声を上げた。 「うーん、まあ、まだはっきりした事は言えねえけどな」 特殊な能力の持ち主である守護聖は、 その力で女王陛下を補佐する為に、この聖地にいる。 しかし教官達は、そうではない。 今回の女王試験に参加する為に派遣されただけの、ごく一般の一人間だ。 女王試験が終了すれば、教官という役目も終わる。教官の仕事が終了すれば、 聖地に留まる意味も必要もない。 王立研究院の今後の研究の為に、 このまま聖地に残る話もあるのだが、基本的には各々の意思を尊重する。 精神の教官も、細君のいる元の星に帰るつもりだ。 「ここまで、一緒に頑張ってきたんだ」 ならば、やっぱり最後は気持ち良く終了したほうがいいだろう。 軽く肩を叩かれて、太公望は苦い笑いを返した。 そういえば、彼らのその後の事なんて、余り考えてはいなかった。 「考えてみれば、あほだのう」 はあーっと長い溜息をついて、 太公望は膝を抱えて座り込む。 湖の森。最近は学習が終わると、 ここへ来る事が多くなった。 学習は現状維持の為に通ってはいるが、 それ以外、育成に奔走する気力は、現在の太公望には無い。下手にその他の場所をうろついて、 喜媚によって相性値を上昇させられた誰かと出会う事はしたくなかった。 朝早くから寮を出るのは、気紛れに寮に迎えに来る誰かを避けるためでもある。 喜媚におまじないの事実を聞いてからは、一日か二日に一回、学習以外では使っていない。 後は時々、王立研究院の四不象に会いに行く時ぐらいか。 だから今日も、精神の学習に行っただけなので、まだ力は充分残っている。 「女王…か」 最初はそれになることが目標で、この試験に参加した。 ならば、その初心に戻って、気持ちを切り替えれば良いのだ。 相性値なんて、 試験の上ではほんの些細なデータの一つでしかない。これも試験における作戦の一つ、 そう割り切ってしまえば良いのだ。 …でも。 「…わしは…どうすればよいのだ」 抱えた膝に、額をこすり付けた。溜息を一つついて、ぎゅっと太公望は目をつぶる。 その時、女王候補はすっかり忘れていた。 想いを込めて祈りを捧げると 逢いたい人に逢えるという、この湖の伝説を。 かさりと草を踏みしめる足音。 人の気配にはっと顔を上げる。 振り返った女王候補は、そこにある姿に大きく目を見開いた。 「太公望師叔…」 「…楊ぜん」 それにしても、楊太さんツーショットの少ない連載だなあ 2003.01.24 |