ANGELIC TONE <22> 王立研究院の受付カウンター。 「随分ご熱心ですね」 新宇宙の観察の部屋への入室許可の手続きをしながら、責任者、周公旦は、 少し目を細めた。 「んー、へへへ」 勇気を司る風の守護聖、黄天化は、 人懐っこい笑顔を浮かべて肩を竦めた。 驚きに見開かれた黄昏色の瞳が、やがてゆっくりと柔らかな優しさを滲ませた。 呆然とその変化を見つめながら、疑問詞ばかりが充満する頭の中でこの湖の伝説を思い出すと、 女王候補は「あっ」と小さく声を上げた。その事実に、焦りよりも気恥ずかしさが先に立った。 もごもごと視線をさ迷わせる女王候補の様子に、感性の教官は笑み零れる。 「太公望師叔…」 甘ささえ感じる声音で名を呼ばれ、やっと太公望は我に帰った。 そそくさとファイルやノートをかき集めると、それを胸に抱いて立ち上がる。 「あー、わしは、その、もう離れるから」 どうぞ、ごゆっくり。 ぎこちなく笑いながら、その横を足早にすり抜ける。しかしそれは、 腕を掴む楊ぜんの手によって阻まれた。 「待ってください」 久しぶりに近くで聞こえる彼の声に、意味も無くかあっと顔が熱くなる。 「少しだけ、お話できませんか」 振り返らず。 「いや、その…育成があるのだ。すまんが急いでおる」 「少しだけ…ほんの少しだけでいいんです」 痛みさえ感じるような切実さを込めた声に、 いけないと思いつつ、つい視線を向けてしまった。 「お願いします、太公望師叔…」 縋るような眼差し。それを見てしまえば、振り切ることなんて、出来ないじゃないか。 「おや、風の守護聖ではないか」 「あれー」 育成物観察の部屋へと続く廊下にて。 ばったりと顔を合わせたのは、水の守護聖、竜吉公主であった。 「おぬしも、 育成物を観察に来たのか?」 「ってことは、姫さんも?」 にやっと笑う天化に、 公主はたおやかな笑顔を返す。 「この所、育成が滞っていると聞いたのでな」 滞っているのは、二人の内の一方のみ。 やはり皆、太公望の様子が気になっているらしい。 「久しぶりに、貴方の顔を拝見するような気がします」 湖の前に二人並んで腰を下ろすと、 楊ぜんは静かに声をかけた。 「別に…学習の安定値は問題なかろう」 それはそうですけどね。素っ気無い返事に、 感性の守護聖は苦笑する。 膝を抱き、視線を落とす女王候補には、 何かを寄せ付けないような頑なさがあった。 そんな様子に一度目を伏せ、少し考え、楊ぜんは言葉を紡ぐ。 「王立研究院で、新宇宙の様子は、よく拝見させて頂いています」 感性の教官が足繁く王立研究院に通っている事は、周公旦からも耳にしていた。 「貴方の作り上げた新しい宇宙は、もうすぐ完成しますね」 守護聖の力を受けて誕生した星々と、 教官の学習で得た安定値に守られた、美しい新宇宙。 完成まで後どれぐらいなのか、 正確な数値は解らない。しかし、誰の胸にも予感はあった。 間も無く、新たな宇宙は完成するだろう。 「試験は、まず間違いなく貴方の勝ちでしょう」 「…勝負は最後までわからぬ」 そうかも知れない。しかし今の時点で、 喜媚に逆転の余地が無い事ぐらい、試験に関係する誰もが解っていた。 「もう一人の女王候補だって、もう貴方に勝てるとは思っていないですよ」 当然だ。もともと喜媚に試験に勝利するつもりなど、無かったのだから。 彼女に対して怒るつもりはない。それでも八つ当たりのような己のそんな咄嗟の思考に、 太公望は自己嫌悪する。 「試験が終われば、貴方は新しい宇宙の女王になります」 新たな宇宙に全てを捧げる、この世にとって特別な存在になってしまう。 「そうなれば、もう僕の手に届く人では無くなってしまいます」 ふいに。 そっと差し伸べられた手が、驚かせないようにゆっくりと、女王候補の頬に触れる。 それに促されるように視線を向けると、酷く真剣な眼差しが待っていた。 ―――いけない。 どくん、と太公望の胸が鳴る。 「ねえ、師叔」 ―――違う。本当のものじゃない。 ―――その想いは、作られたものなのだ。 「僕は、貴方を愛しています」 「うわっち…」 「っと、すまない」 観察の部屋の扉のノブに手をかけた瞬間と同時、 内側からそれが開かれて、天化は声を上げてしまった。 中から姿を見せたのは、 光の守護聖、聞仲だ。 「何だ、お前も観察に来たのか」 「それはこっちの台詞さー」 水の守護聖と言い、どうも今日は、この部屋に皆、引き寄せられているようである。 「それは、嬉しいのう」 にっこりと太公望は笑顔を返した。 「感性の教官にそんな言葉を貰えるとは、随分誇らしいな」 人に慕われるという事も、 女王として必要な要素だからのう。言いながら、尤もらしくうむうむと頷く。 「誤魔化さないで下さい」 次の言葉を紡ごうとする唇は、しなやかな指先に留められた。 「貴方は解っているはずです、僕の言葉の意味を」 僕の気持ちを。 覗き込む視線に、 作られた笑顔がすう、と消える。 少し角度を落とし、そして再度向けられた瞳は、 痛いほどに冷ややかで感情が失われたものへと変わっていた。 「今のは聞かなかった事にする」 頬に当てられていた手を、身を引く事で振り切る。 傍らに置いていたファイルを手に取ると、すくっと立ち上がって。 「明日からは、また教官として、指導をよろしく頼む」 固い表情を崩さずに、 太公望は楊ぜんを見下ろす。入り込む余地さえ見せず、そのまま去ろうとする背中に。 「待ってください」 立ち上がった感性の教官は、細い肩に手をかけた。 「貴方の答えを下さい」 「今の言葉が、わしの答えだ」 「いいえ、違う」 強引に、むしろ抱え込むように、こちらへと向き直らせる。 欲しいのは、本心。 僕の気持ちや、周りの何かなんてどうでも良い。 「貴方自身が、僕をどう思っているのか。それを知りたいのです」 「…ありゃあ?」 新宇宙の様子を見て、天化は声を上げた。 最近は女王候補の育成依頼もご無沙汰で、半ば暇つぶしのように、 この王立研究院に顔を出す日が多くなっていた。だから新宇宙の状況も、 女王候補たちの育成依頼の傾向も、それなりに把握しているのだが。 「惑星が、増えてるさ」 周公旦の話では、最近女王候補が、 守護聖に育成を依頼した様子は無いらしい。 となると、考えられる事は、ただ一つ。 守護聖が独自の判断と好意で、女王候補の為にその力を新宇宙に送ったのだ。 「…姫さんと…今の、かなあ」 水の力と光の力が送られた形跡がある。そういえば、 公主にせよ聞仲にせよ、随分太公望びいきの言葉を口にしていたように記憶していた。 「…こりゃ、俺っちも負けてらんねえかな」 よおし。 勇気を司る風の守護聖は、気合を入れて、ぶんぶんと腕を振り回した。 「僕はこの試験が終了した暁には、この聖地を離れて、元いた惑星に帰るつもりです」 楊ぜんの故郷は、師匠である闇の守護聖玉鼎の出身惑星と同じである。主星と違い、 この聖地からは、遥か遠くに位置する惑星だ。 「そう、か」 微かに声が震えた。それを誤魔化すようにゆっくりと呼吸をして、太公望はにこりと笑顔を見せた。 楊ぜんが帰省を決めているのなら、今更何の口出しが出来るというのだろう。 引きつった笑顔に、楊ぜんは眉根を寄せた。 「聞いてください、太公望師叔」 辛そうに、言葉を紡ぐ。 「僕は…きっと、この聖地にいることに耐えられない」 皆の為の存在である、 貴方の傍にいることに。手の届かない貴方の傍にいることに。自分だけの存在にする事が出来ない、 貴方の傍にいることに。 そんな身を引き裂かれるような状況に、耐えられるはずが無い。 縋るように、抱きしめられた。 「新しい宇宙なんかに、他の何かや誰かなんかに… 貴方を奪われたくはありません」 女王は、その任期を自分で決める事は出来ない。 一旦その資格を受理すれば、宇宙で只一人の女王として、職務を全うしなくてはいけないのだ。 能力が尽きるか、もしくは新たな素質を持つ者が見つかれば、自然に女王交代は行われる。 しかしそれは、通常の宇宙と時間の流れの違う聖地にいてて尚、 先の見えないごく低い確率のものだ。 「貴方を愛しているんです」 切実な響きで囁かれる言葉に、放心してしまう。 「一緒に、僕の故郷の惑星に、貴方も来て欲しいんです」 今なら、まだ間に合うかもしれない。 女王ではなく、女王候補である今ならば、まだ手が届くかもしれない。 「貴方の、何ものにも惑わされない本当の想いを教えてください」 その一言さえあれば。 すぐ近くから覗き込まれる切なく綺麗な紫の瞳に、微かなデジャブがあった。これは確か、 王宮の中庭で、初めて彼と出会った時。 あの時。 初めてこの瞳を見た瞬間から、きっと。 きっと―――。 「わし、は…」 きいんと澄んだシンクロニティ。 一拍の間を置いて、 体の奥から溢れるような感覚が沸き立った。脳裏に押し寄せるイメージと、 何処までも広がり、澄み渡った意識。 快感とも取れるそれに、 太公望は大きな目を見開いた。 瞬時に、それが何を意味するのかを理解する。 「―――あ、…」 「師叔?」 新宇宙が完成した瞬間だった。 テーマは「目指せ王子様」でした 2003.02.19 |