ANGELIC TONE <24> 「何じゃ、これはっ」 朝一番。チャイムと共に開かれた扉から、運び込まれた花束の数に、 太公望は面食らった。 「おはよー、太公望」 手をひらひらさせて朝の挨拶をするのは、 庭園で毎週日曜日に店を出している太乙である。傍らにいた配達ロボットに指示を出し、 次々と部屋の中にそれらを運び込ませた。 「何なのだ、一体…」 ぽかんと口を開く太公望に、太乙は配達のリストのコピーを手渡す。 「皆、君が女王になるのを、すごく喜んでいるんだよ」 女王試験の最中から、 気さくで人懐っこい太公望の人気は、試験関係者だけに留まらなかった。 女王試験終了と時期女王の決定の速報は、瞬く間に聖地中に広がり、 同時に聖地に住む一般人からも、祝辞や花束配達の注文が太乙の元に殺到したのだ。 「あ。私からもお祝いを言わせてね」 おめでとう、太公望。にっこり笑って、 太乙は太公望の手を握る。 「うん、君なら良い女王になれると思うよ」 これからも大変だろうけど、頑張ってね。太乙は自分の事のように、嬉しそうな顔を見せる。 「配達はこっちで勝手に済ませちゃうからさ…君、何かやり残した事とかはないの?」 「やり残した事?」 「折角の、女王就任前、最期の休日だもんね」 就任式前に一日休日が貰えるなんて、今まで一度も無かった事だ。これも、現女王陛下、 妲己の特別な配慮なのだろう。 「帰ってくるまでに、配達全部搬入して置くから」 明日には女王になるんだし、そうなれば今までの生活とは一変してしまうだろう。 「それまでにやっておきたい事、今日中にやっちゃえばいいよ」 王立研究院は、明日に備えてなのだろう、普段よりも少し慌しかった。研究院責任者の周公旦は、 職員に何やら細かな指示を与えつつ、守護聖筆頭補佐でもある闇の守護聖玉鼎と、 何やら話をしている。 真剣な二人の様子に、仕方ない、他の誰か手隙の者にでも… と視線を巡らせた所で。 「おや。太公望」 王立研究院に何か御用ですか。 こちらに気がついた周公旦に呼び止められた。 「今日は、育成物の面会も禁止しておりますが」 「いや。今日はこれを返しに来たのだ」 前に立つ周公旦に、 太公望は分厚い一冊の本を差し出した。ああ、と頷く。 「役に立ちましたか」 「…うむ」 それは、以前光の守護聖聞仲に薦められて貸し出しを頼んだ、 過去の女王試験の候補者達の記録の書であった。 「そうですか、 それは良かった」 満足そうにふっと笑み零し、周公旦はそれを受け取る。 「何だか、随分忙しそうだのう」 いつもは静かな王立研究院が、今日ばかりは、 忙しない足音と話し声に満ちていた。 「久しぶりの就任式ですからね」 太公望の借り出した記録からも判ったのだが、現女王陛下である妲己は、異常とも言える程、 長期に渡った就任期間を得ていた。 妲己が女王に就任してから、 幾度となく女王試験は執り行われてはいる。しかし、殆どの候補生が女王資格を放棄していたのだ。 そしてその中には、候補者が守護聖と結ばれたケースも幾つか確認できた。どうも、 以前聞仲が教えてくれた話は、思っていたほど特殊な事例でも無かったらしい。 となれば、 純血の守護聖と囁かれる水の守護聖、竜吉公主も、案外単なる噂話というわけでも無さそうだ。 「貴方も、明日には女王陛下になるのですね」 しみじみと呟き、 感慨深そうに周公旦は太公望を見やる。 「正直、貴方が女王試験に勝利するとは、 思っておりませんでした」 最初この聖地にやって来た頃は、怠け癖ばかりが目に付き、 こんな人に新しい宇宙を任せられるのだろうかと気を揉み、よくハリセンが飛び交ったものだ。 しかしこうして全てを終えた今となっては、それも杞憂であったようだ。 「貴方は本当に、とても優秀な成績を収めましたね」 女王試験の記録係でもある周公旦は、 育成の進行状況を、この聖地の誰よりも知っていた。その観点から見ても、今回の太公望の成績には、 文句の付け所が無い。 「きっと、良い女王陛下になるでしょう」 あまりにも珍しい手放しの賞賛に、露骨に顔を歪めて見せた。 「おぬしがわしを褒めるとは…明日は雨でも降らぬかのう」 「聖地の気象は、 王立研究院でコントロールしていますから、ご安心なさい」 第一、 折角の戴冠式に雨など降られては困ります。 きっぱりと言い切る周公旦に軽く肩を竦め、 そしてふと、視線を落とした。 ―――優秀な成績、か…。 おまじないの力を借りた、 限りなく紛い物に近い成績なのだが。 「どうかなさったのですか」 「あー、否、別に…」 「明日の事が心配なのですか」 複雑な顔で、笑みを返す。 「就任式は、特に難しい事もありませんよ」 昨日の女王陛下との対面の後、簡単に式の説明は受けていた。戸惑う事があれば、 傍にいる守護聖達がフォローをする事になっている。心配するような何かがあるわけではないのだが。 「初めての事で、不安になるのは当然だろう」 だが、気に病むような事は何も無い。 傍らに立っていた闇の守護聖玉鼎が、安心させるように穏やかな声をかけてきた。 その言葉に、周公旦は面白そうに目を細める。 「貴方でも、緊張するのですね」 普段の飄々とした様子から、 豪胆な印象がついて回っていたのだが。 「失礼な言い草だのう」 わしとて、考え事をして、 眠れぬ夜を過ごす事だってあるのだ。 大袈裟にしかめっ面をしてみせる。そう、 この試験の最中だっていろいろ考えて、眠れなかった夜ぐらいあったのだ。 「ならば、占いの館へ行ってみればどうかな」 「天祥の所へか?」 ああ、と玉鼎は頷いた。 天祥は、おまじないの関係からか、 アロマテラピーにも詳しかった。 実は先日、執務が重なって疲れた顔をしていた玉鼎に、 天祥がアロマテラピーのセットをプレゼントしてくれたのだ。 ささやかな気配りに喜んで使ってみれば、意外なほどに気持ちがすっきりした。 寝つきが良くないと相談すれば、きっとそれ相応の何かを薦めてくれるだろう。 「気休めのようなものかもしれないが、それでもなかなか効くものだぞ」 「そうなのか?」 「ああ…ならばこれを、天祥さんへ渡していただけませんか」 周公旦が差し出したのは、一冊のファイル。どうやら明日の就任式のプログラムらしい。 急ぎではないので明日でも良かったのだが、天祥にとってもはじめての就任式でもある、 早めに渡しておいて悪い事も無かろう。 「お願いして申し訳ないのですが。 今日は何か用事が無い限り、出来るだけ外出を控えなければいけないのです」 「そうなのか?」 「ええ」 これは、女王陛下直々の命令なのです。 「なんでも、誰かが尋ねてきた時に不在だったら、最後のチャンスを駄目にするから… なのだそうだが」 就任式前に一日休日を設けると伝えられた折、守護聖や教官をはじめ、 今回の女王試験に関わった関係者全員に、陛下からそう厳令を渡されたらしい。 光の守護聖聞仲と闇の守護聖玉鼎だけは、守護聖筆頭とその補佐という任の為、 特別に外出を許可された。しかしそれさえ、最低限に留めなくてはならないようだ。 「なんじゃ、その最後のチャンスとは」 「…さあ」 相変わらず、と言おうか。あの女王陛下の考える事は、イマイチよく判らない。 「まあ、私たちには及ばない、深い考えがあっての事だと思うが」 良くは判らないが、多分。 「では、わしもあまり出歩かない方が良いのかのう」 「否、女王候補に関しては、 何も聞いていないが」 ますます変な話だ。 用事を終えて王立研究院を出た玉鼎と並んで歩きながら、太公望はその話に首を傾げた。 「そう言えば、太公望」 「うむ?」 「あの子…楊ぜんと何かあったのか」 何気なく切り出されたそれに、太公望はどきりとした。 「何か…とは?」 特に根拠があるわけではないのだが。玉鼎は小さく笑って首を振った。 「楊ぜんは、明日の就任式を終えれば、故郷の惑星へ帰るといっている」 この聖地にやって来た楊ぜんの様子を見ていた玉鼎に、それは意外な選択だった。 最初に教官の話を持ち出された時、確かに楊ぜんは聖地に来る事を渋っていた。 師である玉鼎も居る事だし、こういった経験も少ないからと、 重い腰を上げて教官という任務を承諾したのだ。 しかしいざ聖地にやってきてからの楊ぜんの様子は、酷く真面目で周囲の評判も良く、 何より教官としての勤めを楽しんでいる様子が見受けられた。 だからてっきり楊ぜんは、 このまま聖地に残り、任務の続行を希望するものだとばかり思っていたのだが。 「太公望は、何か聞いてはいないのか?」 楊ぜんが故郷の惑星へ帰ると決めた、 そのきっかけを。 言葉を捜す太公望に、玉鼎は懐かしむように目を細めた。 「あの子は…昔から感受性の豊かな子でね」 複雑な環境で育った故であろうか、 教官として与えられた属性の通り、楊ぜんは酷く感性の強い子供であった。 人と接する時も何処か距離を置き、養父である玉鼎でさえも、 踏み込ませる事の無い領域を持っている。 「そんな楊ぜんが、お前の事を話す時は、 とても嬉しそうだった」 こんな状況下、執務の相談やちょっとした会話の中で、 女王候補の話題が登場する事は多々あった。そんな時、普段は冷ややかで冷静な感性の教官が、 笑みを零さんばかりの柔らかな空気を纏うのである。 恐らく、本人は気付いていないのであろう。 あまり意識しない者ならば、気付かず流してしまう程度ではある。 しかし少々勘の良い水の守護聖や緑の守護聖等は、そのあからさまさに苦笑を零した事もあった。 「お前は、人の心に入ってくる」 すんなりと心の内へと入り、信用させる何かがある。 「私は、そんなお前なら、あの子の持つ強い感性を包み込んでやれるのではと思っていた」 「そんな…買いかぶりすぎだよ、玉鼎」 自分はそんな、特別な人間じゃない。 楊ぜんと接している時だって、特別な意識や慈悲を持って、気を配っていた訳では決してなかった。 「そんな所が、女王の素質として見出され、そして今回試験に合格したのではないか」 にこりと笑う玉鼎に、太公望は言葉を失った。 「もし良かったら…帰星の前に、 あの子に会ってやってほしい」 それは、幼い頃から楊ぜんを見守ってきた、 父親としての言葉だった。 こじんまりとした占いの館に入ると、天祥は目を丸くして笑顔を向けた。 「たいこーぼー」 いらっしゃーい。笑顔で迎える天祥に、まず先に周公旦に預かったファイルを手渡した。 それを受け取ると、改めて太公望を見上げる。 「女王試験、合格おめでとう」 僕、ずうっとたいこーぼーを応援していたから、すっごく嬉しいんだ。明日の就任式、 楽しみだね。そうだ、僕ね、父様や兄様と一緒に、この聖地に残る事に決めたんだ。 「聖地の人達もね、たいこ―ぼーが女王さまになれたらいいなって、みんな言っていたんだよ」 ライバルであるもう一人の女王候補だって、本当に太公望を応援していたんだから。 「…天祥のお陰だよ」 「僕、たいこーぼーの役に立ったかなあ」 「おぬしがいなかったら、 わしはきっと試験に勝利できんかった」 その言葉に、天祥は素直に喜ぶ。 「たいこーぼーだからだよー」 この女王候補は、本当に聖地に住む皆から慕われていたから。 今回の試験で太公望が時期女王陛下の資格を得た事を、住民もとても喜んでいる。 「それに僕なんて、おまじないくらいしかしてないもん」 もっともっと、 他の守護聖さんや教官さん達みたいに、いろいろ力になれれば良かったんだけれど。 「全部…おぬしのおまじないのお陰だ」 自分自身の実力なんかではない。 天祥のおまじないがなければ、これだけ皆の情を受けるなど無かった筈だ。 苦笑交じりの太公望に、天祥はきょとんと目を丸くした。深刻で何処か辛そうな太公望に、 ええっと…と天祥は首を傾げる。 そう言えば、もう一人の女王候補さんも勘違いしてて、 教官さんと一緒に聞きに来たよなあ。今の太公望は、その時の二人と、 とてもよく似た表情をしているのだ。 「ねえ、たいこーぼー。何か勘違いしていない?」 おまじないの効力を。 「勘違い?」 「うん。勘違い」 二人、大きな目を瞬きさせて、互いを伺うように見詰め合った。 今更ですが。ゲームを知らない人から見れば ものすごく判りにくい話なんだろうな…(反省) 2003.06.02 |