ANGELIC TONE <25> 精神の教官の執務室に集まった三人の教官に、光の守護聖聞仲は、 明日の就任式のプログラムを手渡した。 「詳細は全てそこに記してある。疑問があれば、 速やかに私か、若しくは闇の守護聖に聞くように」 そう前振り、当日の式の内容を、 順を追って簡単に説明する。守護聖達と違い、今回の女王試験から参加を始めた教官達にとって、 就任式は初めての経験だ。特に難しい何かをする訳ではないので、 予行をするほどでもないが、とりあえず流れだけでも把握して貰いたい。 「…で、女王となる太公望が、その証である王冠を現女王陛下より賜った後、 各々が新たな女王陛下へ言葉を送る事になるのだが」 それを各自、考えておいて欲しい。 「えっと、それって、何を言えばいいんだ?」 精神の教官は、困ったように質問する。 「要は、素直な祝福の言葉を伝えれば良い」 特に規制がある訳でもなし、 女王試験を振り返り、その想い出を語るも構わない。つまりは、新たに誕生した女王陛下への、 祝辞を述べれば良いのだ。 「参ったなあ…そういうスピーチとかって、 苦手なんだよな」 がしがしと髪を掻く精神の教官の隣、 意味無くスポットライトを浴びる品性の教官は、手に持っていた薔薇の花を掲げた。 「聞仲君、それでそのスピーチに、時間制限はあるのかい」 「一言、で良い」 余計な何かは必要ない。 「で、衣装代えの時間は、用意しているだろうね」 何と言っても、至極珍しい、特別なセレモニーだ。それなりに華のある演出が必要だよ。 誰にも判らない何処か遠くへと手を伸ばす品性の教官から、 逃れるように聞仲は背中を向け、速やかに感性の教官へ向き直った。 「感性の教官は、何か質問はあるか」 話を振られ、 ファイルに視線を落としたままであった楊ぜんは、我に帰ったように顔を上げた。 「あ…いえ」 少し考え。 「その…何を伝えても良いのですか」 新たに就任した女王陛下、太公望へと送る言葉は。 「まあ、余程の常識を超えない限りはな」 ちらりと品性の教官へと視線を向けながら、 何かしら意味を含めたその口調に、楊ぜんもくすりと笑う。 「それから今日は皆、出来る限り執務室にいるようにしておいて欲しい」 「外出を控えろ、という事ですか?」 うむ、と光の守護聖は頷く。 何かしら、急の連絡が入るかも知れないし、それに。 「そのように、女王妲己からの命が下ったのだ」 冷静に考えると外出禁止の厳令は、自分にとっては、ある意味良かったのかもしれない。 だって。もしもその枷が無ければ、女王候補の寮へと、 足が無意識に向かっていたかもしれないから。 自分のそんな考えに苦笑し、楊ぜんは溜息と共に、先ほど光の守護聖に与えられたプログラムを、 机の上にぱさりと置いた。 両肘を突き、組んだ手に額を当てる。 出てくるのは溜息ばかり。 頭の中で繰り返されるのは、湖の森でのあの瞬間。 今更、どんなに悔やんだとしても、もう何も変える事など出来やしない。どんなに後悔しても、 あの時に戻る事は出来やしない。その事実だけが、重く重く、 楊ぜんに圧し掛かってくる。 「どうして、僕はあの時…」 そして、幾度目かの溜息が零れた時。 控えめに扉をノックされる音に、のろのろと楊ぜんは顔を上げた。早速何か、 連絡漏れでもあったのだろうか。 執務机の上のファイルへと、手を伸ばしながら。 「はい」 どなたですか。 一拍の間を置いて、 躊躇いを含んだ声が届いた。 「その…太公望だが…入っても良いかのう」 その声に、がばりと楊ぜんは顔を上げた。 たいこーぼー、何だか勘違いしていたみたいだから。そう前置きをして、天祥は言葉を探す。 「僕のおまじないって、えっと…だれかとだれかを、なかよしにさせるものじゃないんだよ」 そう言えば、もう一人の女王候補と感性の教官も、 最初は同じような勘違いをしていたみたいだったっけ。 「あのね。おまじないってね、星の引き合う力を強くするものなんだ」 だから、 たとえおまじないを何度も繰り返したって、それだけでは誰かと仲良くなんてなれないんだよ。 たどたどしい説明。天祥の言わんとすることが掴めず、太公望は目をぱちくりとさせた。 「星の引力が上がるとね、偶然が増えるんだよ」 星と星は、見えない力で引き合っている。 その万有引力を上げる事によって、偶然の確立を上昇させるのだ。 益々判らない、と言った顔をする太公望に、天祥はうーんと、と頭を悩ませる。一体どう言えば、 判りやすいんだろう。 「えっと…つまり、おぬしにおまじないを頼めば、 わしとその相手との、偶然、が増えるっつー訳か?」 「うん、そうなんだっ」 たいこーぼー、判ってくれる?にこにこと嬉しそうな笑顔の天祥に、太公望は複雑な顔をした。 「ほら。一回しか会った事のない人より、毎日顔を会わせる人の方が、 なかよくなったりって事、あるでしょ」 そう言われてみれば。 数えるほどしか顔を会わせていない女王陛下の妲己や王貴人より、同じ寮に住んで、 共に生活をしている喜媚との方が親しみがあるのと、同じ理屈なのだろう。 勿論、これは例えが極端すぎるし、個々の性格の違いにも拠るのだが。 「つまり、 その偶然が増えると、顔を会わせる確立が高くなって。で、顔を会わせる回数が増えると、 親密度が上がる…と言う訳なのか」 うん、と天祥は首を縦に振った。 だが、それだけでは無い。 「でもね、その逆だってあるんだ」 毎日顔を会わせていても、何とも思わない人もいる。その考え方の違いによっては、 いがみ合ってしまう場合だってある。そしてそれとは逆に、 あまり顔を会わせてもいないのにも関わらず、 何故か気が合って、すぐに仲良くなる相手だっている。 仮に貴人が女王候補のライバルになっていたとしても、今の喜媚同様、 親しみが持てる間柄になるとは限らないのだ。 つまり。 本来各々が持つ「星」の気質を、強調させる。 決して、 人の心や考え方を変化させるものではない。 それが、おまじないなのだ。 おまじないで仲良くなるケースは、単純に互いを知るきっかけの回数が増える事によって、 互いを理解出来たに他ならない。 「占い結果に出てくる数値だって、単なる基準の一つだし」 人の心が、数字で計れるわけが無い。 相性値が高くても親密度が低いままの相手だっているし、 沢山顔を会わせていた筈の相手でも、親密度が上がりにくい相手だっていた。 さらに言えば、たとえ親密度も相性値も高くとも、 互いが同じ意味での「好き」と言う感情を抱くとは限らないのだ。 その説明に、太公望は緑の守護聖を思い出した。 彼とは、相性値も親密度も高い数値であったし、 太公望自身、彼の事は本当に大好きだと言えた。 でも、互いの持っていた「好き」の感情には、 違いがあったのだ。 「人の心を変えるなんて、女王さまだって出来ないよ」 おまじないで仲良くなれるのは、最初からその要素が、お互いの中に潜在していたから。 この宇宙を統べる絶対の存在である女王陛下とて、人の感情を変える事なんて出来やしない。 ましてや、一介の占い師に、そんな力がある訳無いじゃないか。 「…そう、なのか」 やっと、天祥の言うおまじないの意味が理解出来た太公望は、 確認するようにまじまじと見つめてくる。 「ごめんね、ちゃんと説明すれば良かったよね」 太公望は今まで、一度もそんな依頼に来た事無かったから。 あまりおまじないに興味が無さそうだったし、だから特に説明する必要も無いと思っていた。 「もう一人の女王候補さんも、 おまじないをすればたいこーぼーも喜ぶって…そう言って依頼に来てたし」 恐らくは王天君に言われるまま、 何の疑問も抱く事無くおまじないの依頼に来ていたのだろう。その様子が目に見えるようで、 太公望は脱力した。 「喜ぶって…何かズレとるのう、あやつは」 「きっと、たいこ―ぼーの事、本当に応援していたんだよ」 太公望が試験に合格すれば、彼女の目的も達成されるから…でもそれだけではない。 「だって、教官さんとの相性を上げていたんだもん」 太公望の現状では、教官との相性を上昇させたとて、女王試験の勝利に大きな意味は無かった。 学習から生まれる宇宙の安定値は申し分なかったし、それよりもむしろ、 惑星の誕生に直接関わる守護聖達との相性を上昇させる方が、 余程効率よく新宇宙を完成させる事が出来ただろう。 なのに喜媚は後半以降、わざわざ教官…それも感性の教官に集中して、 おまじないの依頼を続けていたのだ。 「これってやっぱり、たいこーぼーにも幸せになって欲しかったからだと思う」 「…はあ?どういう意味だ、それは」 「えー。そりゃあだって…」 「だって?」 「だって」 …だって? 「駄目です、入らないで下さいっ」 扉の向こうからの、 今までに聞いた事の無いような楊ぜんの鋭い声に、太公望は思わずノブを握った手を引いた。 そっと執務室内の気配を伺う。楊ぜん以外の、他の誰かがいる様子は感じられない。 「…楊ぜん?」 少し間を置いて、室内の気配がゆっくりと動く。 「すいません、師叔…」 いつもの穏やかな、でも何かを押さえ込んだような声。 「少しだけ…おぬしと、話がしたいのだが」 やはり、間を置いて。 「…すいません」 その声は存外に近かった。どうやら楊ぜんは、この扉一枚を隔てたすぐそこまで、 移動してきたらしい。 ひた、と太公望は扉へ手を当てた。 「何故、謝るのだ」 それよりも、この扉を開けて欲しい。 「…ごめんなさい」 「楊ぜん…」 反対側、そっと楊ぜんは扉に手を当てる。 「僕は…貴方ときちんと対面できる自信がありません」 貴方に会うのが、 今の僕にはとても辛いのです。 「もう貴方は…僕の手の届かない人になってしまったから」 「何を言っておるのだ」 それは違うだろう。この扉を開けば届く場所に、 今は確かに存在しているのだ。二人を隔てた扉を開かないのは、楊ぜんではないか。 扉の向こう側の否定に、楊ぜんはそっと首を振った。 「貴方はもう、 今までとは変わってしまったのです」 「わしは何も変わっておらぬ」 「いいえ、師叔」 貴方はもう女王候補ではない。 新しい宇宙の誕生と共に、 この世で最も特別な、尊き存在になってしまったのだから。 「本当は、今日にでも、 聖地を離れてしまいたかったのですが…」 それをしなかったのは、 感性の教官としての最期の責任から。試験に携わった一人として、 女王候補を最期まで見届けなくてはいけない義務がある。 「僕は…少しだけ後悔しています」 この女王試験に参加してしまった事を。 独り言のようなその言葉に、太公望は眉を潜めた。 「あの時…どうして貴方を、 王立研究院へ促したんだろう」 あの日。 二人きりの湖の森で、新たな宇宙の誕生に共鳴し、 女王候補は軽いパニックになってしまった。どうしよう、どうしようとうろたえる彼を宥め、 王立研究院へ向かうように促したのは、紛れもなく楊ぜんだった。 「あのまま…貴方を攫ってしまえば良かった」 本当は、そうしたかった。 女王試験もその資格も、何もかもを捨てさせて、何もかもを奪って。そうしてそのまま、 誰の手も届かないような、何処か遠い所へ連れ去ってしまえば。そうすれば今頃、 後悔など何一つ無かったのに。 でもあの瞬間。 女王試験の教官の立場を選択したのは、誰でもない、自分自身であった。 どうして、一度抱きしめたその腕を、 手離してしまったのだろう。 溜息を一つ。 そっと扉に額を当てた。 「師叔…貴方ならきっと、素晴らしい女王になれますよ」 現女王陛下、妲己よりも。過去にあったどんな女王陛下よりも。きっと、誰よりも素晴らしく、 誰よりも慕われる女王になるに違いない。 そして。 僕はそんな貴方を、ずっとずっと…。 消え入るような声は、最後まで聞き取れることができなかった。 いきなり。 向こう側から、ごんっと拳で扉を叩かれた。 丁度それが頭を添えていた辺りだったので、衝撃を楊ぜんはまともに受けてしまう。 「あいた」 「だあほが」 扉越しに殴られた額に手を当てると、 向こうから苛々した声が、やや乱暴に投げつけられる。 「ずうっと一人で、 そうやって浸っていろ」 「師叔?」 「わしは、おぬしに言われたから来たのだ」 ―――貴方自身が、僕をどう思っているのか。それが知りたいのです。 ―――貴方の、何ものにも惑わされない本当の想いを教えてください。 宙ぶらりんになったままの答えを、ちゃんと伝えなくてはと思って、ここにやって来たのに。 真剣な眼差しで求められた答えを、きちんと返さなくてはと思って、ここにやって来たのに。 「おぬしのあの時の言葉は、一体何だったのだ」 ―――僕は、貴方を愛しています。 「…嘘吐きめ」 もう一つおまけに、がんっと扉を蹴飛ばすと、踵を返し、 太公望はその場を走り去っていった。 寮に帰ってきた太公望は、自室の扉の前に座り込んでいる胡喜媚の姿に目を丸くした。 「…おぬし」 やっと帰ってきた待ち人に、彼女は抱えた膝に埋めていた顔を上げた。 どうやらずっと、ここで太公望の帰りを待っていたらしい。 その細い腕を引っ張って立ち上がらせ、とりあえず部屋の中へと招き入れた。 テーブルに着かせると、ようやく喜媚は俯いていた顔を上げる。 「…太公望、怒ってり?」 伺うような大きな目に、にこりと笑って見せる。 「怒ってなどおらぬよ」 喜媚に悪意が無い事は知っていた。そして、そんな貴媚に八つ当たるのが筋違いだという事も、 もうちゃんと判っている。 「あのね、貴媚、考えり☆」 ぎゅっと膝の上に置いていた手に力を込め、太公望を見上げる。 「もし太公望が女王様になるなら喜媚、聖地に残りっ☆」 は?と太公望は瞬きした。 女王試験を行われ、その際試験に落選した女王候補は、 元ライバルであった女王陛下の補佐として、この聖地に残るという選択肢もあるらしい。 どうやら喜媚は、その事を言っているようだ。 しかし。 「おぬし、 スープーと結婚したかったのではないのか?」 それが目的で、 喜媚はこの女王試験に参加したのだ。もしもここで女王補佐の資格を選択すれば、 その夢を叶える事は出来なくなってしまう。 「喜媚、もう決めりっ☆」 きりっとした真剣な目には、大粒の涙が見え隠れしている。 「無理をせずとも良いよ」 「貴媚、無理なんてしてないっ☆」 拗ねたように口を尖らせて、 ぶーぶーと主張する。その様子が子供っぽくて、ひたむきで、間抜けていて、 そして何よりも健気で。思わず太公望は、声を出して笑ってしまった。 「何で、太公望、笑うのっ☆」 「いや、すまぬ」 悪い意味ではないのだよ。 何とか笑いを収めようと努力して、やっと落ち着いた時には、目尻に涙が浮かんでいた。 それを指先で拭いながら。 「おぬし、良い奴だのう」 ますます頬を膨らませる喜媚に、 以前水の守護聖に貰った、リラックス効果のあるハーブティーを入れてやる。それを飲んで、 互いにひとまず、気持ちを落ち着かせて。 とりあえず今晩はゆっくり休み、 改めて考えて、それから女王補佐の申請をしても遅くは無かろう。 宥めるようにそう言い聞かせながら、「そうだ」と太公望は立ち上がった。 帰宅した時、デスクの上に置きっ放しにしていた紙袋。その中をごそごそ探り、 鮮やかな色のキャンドルを一つ、取り出した。 そして、留守中に太乙が運んでくれたのであろう、 部屋中に並べられた無数の花束の中から小ぶりのブーケをひとつ選ぶと、 それと一緒に小さな手の上に乗せてやる。 「…ろり?」 「占いの館の天祥に貰った、アロマキャンドルだ」 闇の守護聖に薦められたと話すと、一番手軽に使えるであろうこれを、紙袋に沢山詰めて、 気前良く渡してくれたのだ。 「良く眠れるそうだ、頭もすっきりするらしいぞ」 きっとわしにも、今のおぬしにも、効果があるだろう。 喜媚を部屋まで送ってやって。寝間着に着替えた太公望は、 カラフルなキャンドルの中から紫色のものを取り出した。 火を灯し、部屋の電気を消す。 すっきりとした、でも優しい香りが仄かに漂い、ゆっくりと深呼吸をした。 揺らめく灯を見つめ、ふうと肩の力を抜くと、ころりとベットに体を横たえる。 目を閉じると、瞼の裏に炎の影が映った。それは海の漣に似て、ゆらゆらと揺れる。 全く違うものの筈なのに、その類似の妙に、太公望は薄く笑う。 笑みはすぐに消えた。 もそもそと寝返りを打つと、溜息が零れる。 「…だあほが」 わしは悪くないぞ。あの時、答えを返せず、そのままではあやつに悪いと思ったから。 だから悩んで、考えて、勇気を出して、会いに行ったのだ。 なのに顔を見せようともせず、 拒絶をしたのは向こうではないか。 相応しいって何だ。身の程知らず? 手の届かない存在? 「わしは…わしではないか」 こちらの話なんてちっとも聞こうともせず、 好き勝手な事ばかり散々一人でほざきおって。なーにが「変わってしまった」だ。 いきなり態度が変わってしまったのは、むしろそっちだっつーの。 「一体、何だったのだ」 結局、あの湖の森での言葉は何だったのだ。 一晩経ったらすぐ諦めがつくような、そんな陳腐な感情だった癖に。馬鹿馬鹿しい。 「あんな言葉、軽々しく言うでない」 やっぱりあれだ。ずっと前に緑の守護聖も言ってたが、 女遊びが激しいらしいから、そんな言葉だって簡単に口に出す事が出来るのだ。 そうだ、 そうに違いない。 所詮、そんなものだったのだ。くっだらない。 「…大馬鹿者め」 布団の中、太公望は体を丸めて呟いた。 そうして、それぞれの夜が明けて。 戴冠式の朝がやって来た。 やり残したイベントは無かったかな? 2003.07.19 |