召しませマイダー
<中編>





蒼天の蓬莱島の空。
白い宝貝で駆け抜ける教主の後を追う、黒衣の始祖。
追っかけっこは、まだ始まったばかり。





「何で逃げるのだーっ」
折角わしが恥を忍んで、こうして会いに来てやったというのに。
ごうごうと風の鳴る空の上。あらん限りの声で吐き捨てるが、前を駆けゆく騎乗の教主は、 長い髪を煽らせたまま身をすくめるだけで、その速度は緩めない。
「だから、 ちょっと待って下さいってーっ」
なんでこんな時に限って、やたらと積極的なんですか。
白い宝貝は、騎獣としての能力も高い。始祖と言えども、変化したての未だ慣れない女人の体では、 スピードについて行くのがやっとだ。
「ぐぬう。わしの力を甘く見るなよ」
懐から取り出したるは、彼の愛用する宝貝、打神鞭。にやりと些か意地の悪い笑みをこぼしたかと思うと、 すちゃっとそれを構えた。
小さく唇を動かすと、きいんと密やかに術が紡がれる。
そして、大きく振り上げて。
「疾っ」
勢い良く振り下ろすと同時に、 ごうと竜巻が起こった。
「うわっ」
大気のうねりに哮天犬ごと捉えられ、 方向感覚を狂わされる。全く以って手加減の無いその威力に、ひやりと汗が流れた。
「ちょっと師叔、それ、本気でしょうっ」
貴方、何最強宝貝を全力で使っているんですか。
「わしはおぬしを信じておるよ」
妙にきらきらとしたオーラと共に伝えられる言葉に、 じいんと胸の奥が熱くなる。そうか、僕は貴方に信頼されているんだ。
…などと、 感動している場合か。
「哮天犬っ」
「わんでし」
名前を呼ぶと、 忠実な宝貝は主人の意を正確に察する。くるりと体勢を整えると、 竜巻から逃れてぐんとその速度を上げた。
一気に二人の距離が広まったと思いきや。
「ええいっ、太極図よ。支配を解き放てっ」
打神鞭の先から術の網が紡がれる。 るらるらと風に乗って広がるそれに、間もなく楊ぜんは囚われた。忽ち、 生物宝貝である哮天犬が、その機能を停止させる。
「しまったっ」
というか、 大事なスーパー宝貝を、こんな事で使うんですか?
だがしかし、 教主もそうそう簡単にやられはしない。
このまま追いつくかと思った瞬間、 ばさりと広がったのは、黒く大きな翼。部分変化で背中から生えたそれを、 のびやかに羽ばたかせる様子に、ちっと太公望は舌を打つ。
「変化かっ」
宝貝では無い彼の特殊能力は、流石の太極図でも支配は出来ない。 そのまま飛び去ろうとするが。
「ふん。甘いわ、楊ぜんっ」
このわしが、 まだまだおぬしごときにに出し抜かれるとでも思っているか?
ぶん、 と空気の震える音。背後から追いかけてくる、小柄な体が消えたかと思った瞬間。
「空間使いはわしの十八番でなっ」
楊ぜんの目の前に突如現れたのは、 異空間の四角いウィンドウ。後ろにあったはずの姿が目の前に現れ、 窓越しにふふんと笑っている。
「かかったな、楊ぜん」
先程の攻撃よりも一足早く、 セコくて判り難い一行だったのでおぬしも気付かぬだろうが、術は既に紡いでおいた。 今までの前振りは、この為のカモフラージュだったのだ。
ぬっと空間から抜き出た姿に、 ぎょっとするがもう遅い。全力疾走していた楊ぜんは、失速することもままならず。
「宝貝、誅仙陣っ」
突き出された両の手の平から、組まれた六角形の陣には、 何処か可愛らしいコミックフォントで、「いらっしゃいませ」の文字が、 ハートマーク付きで浮かんでいる。
見覚えがある。これは、 女カとの戦いの際に始祖が作り出した陣。透けて見えるのは、入り口の向こう側。 如何にもいかがわしさたっぷりの照明と、派手できらびやかに装飾された、 やたらと大きなベットが見えている。
「ちょ…、師叔っ」
あらゆる意味での強力な吸引力に引きずられ、楊ぜんの体はその空間に包み込まれてしまった。











「…ここは」
やや薄暗い陣の中は、寒くも無く、温かくも無いが、妙な湿度を感じる。
奥行きのある空間には、大仰な天幕のついた広いベットだけが、ぽつんと置かれていた。 そういえば、人間界へ居た時に、男女の閨房用のこんな宿泊先があったよな。 てか、何であの人が、それを知っているんだ。
「…師叔は?」
改めてぐるりと周りを見回す。今入って来たばかりの陣の入り口を振り仰ぐが、 彼の姿は見当たらない。ただ青々とした蓬莱島の空が、陣のフィルター越しに透けて見えた。
全く、何を考えているだか。こめかみに手をあてて、そう思った最中。
「流石のおぬしでも、 ここからは逃れられまい」
ふっふっふ…と、不敵な笑いに振り返る。ベットの向こう側、 登場した姿に、楊ぜんは思わず息を飲んだ。
「す、すうすっ」
裏返る声で思わずその名を呼んで、目を見張る。
彼の姿は、極薄手の単衣が一枚のみ、 しかもその丈は膝までしかない。裾の先からは、柔らかそうな肉付きを曝した形の良い足が、 惜しげもなくすんなりと伸びている。過剰なまでに厚着な彼の普段着を見慣れているだけに、 覗いた膝小僧の可憐さに、思わず目が引き寄せられた。
「安心せい。おぬしの魂魄を、 雪で溶かしたりはせぬ」
だが、その代わり…。にじり寄るように近づきながら、 ふふんと笑う。
「わしのこの体で、おぬしを蕩かしてやろう」
言い終わるより早く、 そのまま飛びつき、ベットの上へと押し倒した。
しなやかな体が馬乗りになり、 女性特有の柔らかみのある肉の感触が、その重みと共に、衣服越しに生々しく伝えてくる。 獲物をとらえた肉食獣の様な目が、妖しくこちらを見下ろした。
「楊ぜん…」
掠れた声に心臓が跳ね上がる。その振動が伝わったのか、彼はやや目を細めてくすりと笑った。
掬いあげるように首元のファスナーに人差し指をかけ、ゆるゆると引っ張ると、 逞しい胸元が肌蹴た。しっかりと筋肉質のそれが剥き出しになると、潤んだ視線を反らす事無く、 するりと自らの肩口から単衣を寛げ、胸の丸みが露わになろうとする、その瞬間。
「六魂幡っ」
「のわああっ」
突然現れた黒い外套の抵抗に、思わず太公望も声を上げる。
闇色のそれは、その着乱れた体をむしろ優しく包み込み、頭まですっぽりとぐるぐる巻きにした。
必死の抵抗で顔だけを出すと、だあああっと声を上げた。
「おぬし、まだ抵抗する気かーっ」
「違うんです、違うんですってっ」
自分でも何が違うのか判らないまま、 楊ぜんは泣き出しそうな顔で首を横に振る。ああもう、何と伝えれば判ってもらえるのだろう。
ぐぬぬ、と睨みつける目が、ふっと力を抜き、仄かに悲しい色を乗せた。
「…そんなに、嫌なのか」
「…え?」
「この体が男であろうが、女であろうが、 わしはわしであろう」
好きだと言ったのに、あんなに情熱的に愛してくれていたのに。 でもおぬしは、肉体が変わったら、そんなに態度も変えるのか?
「それとも…わしが気持ち悪いか?」
子供みたいな体で、突然女になって。元が男だけに、 不自然な性が取ってつけたみたいで不気味だとか。そもそも始祖なんぞ、地球上のお主からみれば、 かなり異質であろうし。そう考えれば、こんな体を抱くのが嫌になっても、 仕方ないかもしれぬのう。
ぐるぐると簀巻にされた状態で、そこだけ出された首を力無く項垂れ、 視線を外す。
「そんな訳ないでしょうっ」
打ち消す様に、はっきりと楊ぜんは否定した。
もともと、成長期前の面差しを持つ太公望だ。女性の体になっても不気味どころか、 むしろ不思議なくらいに不自然さが感じられない。しかも幼い顔立ちを裏切る豊かな女性らしさが、 ギャップとアンバランスさを醸し出し、いっそ倒錯的な妖しさを生み出している。
第一、 肉体がどうのと言うならば、自分だって妖怪だ。互いにそれは十二分に承知の上であろう。
何より、今更心変わりする様なそんなちゃちな想いなら、 融合した彼にあれだけ苦しんだりするものか。
「僕の気持ちに変わりはありません。 絶対にですっ」
これだけは、決して間違えない。
「何があっても、 僕は貴方を愛していますっ」
「…だったら」
ふるふると、六魂幡を通じて震えが伝わる。
「とっとと今すぐ、わしを愛さんかーいっ」
怒号と共に、 細身の体をぐるぐる巻きにしていた六魂幡が一気に解けた。肌蹴掛けた単衣から伸びた細い腕には、 最強のアンチ宝貝、太極図がしっかりと握られている。この宝貝を前にすれば、 いかなスーパー宝貝といえども効力は失われてしまう。
「―――っ、部分変化っ」
途端、 空気のぶれる音がして、張られていた誅仙陣の空間が、硝子が割れるように崩壊した。
「なっ」
これには、流石の始祖も驚く。
どうやら、手の平だけを始祖に変化させ、 空間を解いたらしい。教主としての務めを果たしていようとも、 自らを高める鍛錬は怠っていなかったようだ。
陣は砕けた。
空間は壊れ、 後に残るはひょうひょうと風の吹きぬける、突き抜けた様な仙界の青い空。残された太公望は、 毒気を抜かれたようにぽかんとするが。
「…楊ぜん?」
気配が消えた。どうやら、 そのまま空間を飛んだらしい。
だあほが。無茶な事を…と眉をひそめる。 部分的だとは言え始祖に変化をするなんて、流石の彼でも只では済むまい。 かなりの力を消耗している筈だし、空間を飛んだとて、そう遠くへ行ける筈もなかろう。
―――さて、何処へ行った?











浄化された室内でゆるりと書を読んでいた竜吉公主は、ぶん、 と空間を引き裂く音に顔を上げた。
突如部屋に現れた、異空間を繋ぐ窓。 そこからどさりと落ちてきた姿に、長い睫毛を瞬かせる。
「これは…おぬし、 楊ぜんではないか」
一体全体どうしたのじゃ。
礼を欠いた突然の侵入者に立ち上がり、 手を伸ばす。
「す、すいません。公主…」
空間を解くというより、 寧ろ無理矢理壊すようなやり方で陣から脱出したが、流石に無茶があったらしい。 そのまま王天君に変化し、ここまで空間を渡って来たのは良いのだが、 まさかここまで仙気を消耗するとは。
ぜいぜいと肩で息をする教主の姿に、 公主は眉を潜ませる。
「おぬし程の者が、一体何があったのじゃ」
何か、 大変な事でも生じたか。優しい年長者としての労わりと、危機感を滲ませた美しい声。 楊ぜんは漸く青褪めた面を上げ、何でもないと首を苦しげに横に振る。
「いえ…その、 大事という事でもないのですが…」
状況説明しようにも、喉の奥が張りつめ、 言葉が上手く出てこない。呼吸を整えようとあえぐ様子に、すらりとした先細りの手を伸ばし、 上下する背中をさすってやる。
「それに、おぬし。その姿はどうした」
今や平和となった蓬莱島で、スーパー宝貝である六魂幡を装備。しかもその内側の衣服は、 普段の身なり正しい彼には珍しく、胸まであられも無く肌蹴け、乱れている。
「あ、す、すいません…その、」
なかなか整わない息を絶え絶えに、 それでも慌てて乱れたままの襟元を引き寄せる。
「とりあえず、落ち着くがよい」
卓の上に置いていた水差しで椀に水を注ぐと、優雅な手つきで差し出す。それを有り難く頂き、 支えられながらも一気に飲み干し、とりあえず何とか深呼吸が出来た。
優しく背中をさすり続けていた手を押しとどめようと、手を重ねた所で。
「楊ぜんっ」
怒号と共に、ぶん、と空間が繋がる。
現れた異空間の窓から、するりと身を滑らせてきたのは、 こちらも未だ中途半端に単衣を乱れさせた姿の太公望だ。ふっくらとした胸元が肌蹴け、 谷間と共に見えかかっている。女性なら意識もしようが、勿論太公望にそんな頓着は無い。
「なんと、太公望ではないか」
おぬし、その姿はどうしたのじゃ。
一目で判るその体の変化を察し、思わず公主も声を上げた。
しかしその返事は無く、 代わりに睨みつける目には、今までに無かった険が込められる。
「こ…っ、の…浮気者…」
腹の底からふつふつと湧き上がるような、怒りを乗せた震える声音。噛み締めた唇が白い。
「同じ女なら、わしでは無く、公主が良いということか」
「は、はい?」
何を言っているのか掴めず、声が裏返る。
「わざわざ公主に助けを求めに来る辺り、 流石は仙界一のプレイボーイだのうっ」
「何の事ですか?」
プレイボーイなんて形容詞、 確かに若かりし頃には言われた記憶があったが、所詮は興に乗じて作られた、 根も葉もない噂に過ぎない。それに、太公望と出会ってからは、自他共に実に判り易く、 彼一筋を貫いていたのだ。
「何か誤解していませんか?」
ねえ、 と隣にいる公主へと視線を向けた。お互い眼を見合わせた所で、 手を重ねて身を寄せる二人の体勢に気がつく。勿論、意図的なものではない。 その気が無いだけに公主も気付かず、慌てて手を放す楊ぜんの大袈裟な慌てぶりに、 おや?と瞬きする程度だ。
「ち、違いますよ、師叔っ」
変な誤解をしないで下さい。
「うるさーいっ。では何故、わざわざここまで空間を飛ばしたのだっ」
あんな状況で、 無理矢理変化を使ったのだ。だから最初は、あの場所から一番近い、雲中子の元へ行ったと思い、 気を探った。しかしそこに教主の姿は無く、次に距離の近い太乙の所も探ってみたが、 やはりそこにも居なかった。
何処へ行った、 まさか間違って妙な異空間へと飛んでしまったのではなかろうな。 そんな心配までして必死で気を巡らせば、あの場所よりもかなり遠い筈の公主の元へ、 この美丈夫はわざわざやって来ているのだ。
しかも空間を飛ばして姿を現せば、 二人仲睦まじく肩を寄せ、手を取りあっているではないか。
ぐぐっと睨みつける目が、 水の膜を張って揺らぐ。
「そんなに…わしでは駄目なのか」
女になったわしでは、 おぬしにとって魅力が無いのか?
「違いますって、師叔。誤解しないで下さいっ」
「ええい、もう良いわっ」
こっちはこんなに恥ずかしい想いをして、 こんなに必死に誘っているのに。だけど誘った相手は、訳の判らない理屈をこねて、 のらりくらりと交わし、挙句の果てには別の女に助けを求めているのだ。
「おぬしがその気なら、わしも浮気してやるっ」
「はいっ?」
「武成王の所にでも、 老師の所にでも、武吉の所にでも行って、浮気してやるっ」
おぬしなぞ知らんわっ。
「ちょっと、師叔?」
「あやつらに、男の味を教えてやるのだっ」
「ええええーっ?!」





「師叔ーっ」
男の味って、今の貴方は女性なんですよ?
そのまま窓から飛び去る後姿に、伸ばされた手が空しく宙を掴んだ。








太公望は貧乳もアリでしょうが、
ふっきゅんは巨乳に違いない。
2010.01.04







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