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それもまた個性

販売推進を兼ねた、新刊の小ネタ。

今回の新刊でもちらりと触れた、日本磁器伊万里と中国磁器景徳鎮。
似ているものも多いのですが、矢張り微妙に違っておりまして、
製造方法もそうなのですが、何より「土」の差がありました。
面白いなーと思ったのが、景徳鎮はその土と釉薬の特性上、
日本磁器よりも顕著に剥離現象が見られがちだったんですよね。
普通に見れば欠陥品ともなるそれを、
日本では「作品の味」として非常に好まれていたようです。
これを「文化的余裕の表れ」と取るか「ブランド信仰」と取るかは、
それぞれの受け止め方によるのでしょうけどね。
日本において顕著に見られる「不完全なものを愛する」文化が、
こんな所でも顔を出しているんだなあ。

日本人って完璧なものを目指す割には(サービス、道の精神等々)、
不完全なものを愛でる傾向がありますよね。
アイドルなんかは、正にその表れだと思う。
この辺りは、いろいろ調べると実に奥深そうな題材ですね。

学術的な使用で

オフ本に登場させた磁器は、基本的にモデルがあります。
その中の一つ、最後の章に出てくる、日独そっくりの壷は、
実際に去年観に行ったマイセン展で展示されていたものでした。

ファイル 1159-1.jpg

美術館で販売されていた冊子の写真ですが……だ、大丈夫かな;
左がドイツのマイセン、右が日本の柿右衛門です。本当にそっくり。
写真では違って見えますが、実際の大きさも殆ど同じでした。
柿右衛門は17世紀後半、マイセンは18世紀に作られたもの。
つまり、柿右衛門がオリジナルで、それをマイセンが模擬しております。
そしてこれ、何気に表紙に使ったボンボニエールとも似ていませんか?

ギル桜の最後の章で出した物も、「マイセン スノーボール」で
画像検索すると、それらしいものが出てきます。
今回、こうやっていろんな画像も参考にさせて頂きましたが、
困ったことの一つが、書き進める内に「欲しくなる」事でしたね。
洒落にならないお値段の物も多いので、マジ自制心との戦いでした。

すごく長かった

新刊の通販が「とらのあな」さんで開始されました。
マージンでお値段が跳ね上がってしまうのが申し訳無くて悩んだのですが、
通販を希望とのお言葉に背中を押して頂き、
イベント参加のパンフ代とか交通費とかを考えれば、
通販の方が安上がりなのかなあと思い直しました。

そして、暫しここで、ささやかながらの販売推進。

ここでもなかなか終わらない……と言っておりましたが、
入稿するにあたり、実は半分ぐらいは書いたものを削りました。
しかも、明治時代のギル桜、東西時代の菊ユール、の話に纏めておりますが、
最初の予定ではそれにプラス、江戸末期のユール桜と、
大正~昭和初期のギル菊の、四連作を考えておりました。
男女全組み合わせにチャレンジしてみたかったんですよね。
贋作師のギル菊は男男は普日もあるしなあと早々に却下したのですが、
短髪で男装の外交官ユールさんと島原の花魁桜ちゃんは、
実は今でも却下するのは勿体無かったかなーと後悔しております。
オランダ人と偽ってこっそり日本にやって来たユールさんを男性だと勘違いされ、
接待の為にと島原に連れて行かれ、
そこで島原に入ったばかり(もしくはまだ子供)の
桜さんと出会ってうんたらかんたら……てな話だったんですけどね。
いつか、何かで形に出来たら良いなあ。

表現し難いけど

没にした写真の一つ。金平糖って絵になりますよね。

ファイル 1157-1.jpg

今回のオフに使った写真は、実は写真が趣味の母に撮影して貰いました。
普段は風景やマクロを撮っている人なのですが、今回のメインは食器。
あんまり取らない被写体だけど楽しかった、と言ってくれました。
綺麗な食器ねーとの言葉は嬉しかったな。
ちなみに表紙に使ったこちらは、伊万里を模擬したマイセンの柄を模擬した、
まあつまり、図柄を逆輸入した「マイセン写し」シリーズだったりします。
普が日を真似たものを、更に日が真似た……と言えば、萌えて頂けるでしょうか。

実は最初、表紙にはフリーのイラスト画像を使うつもりでした。
それ用に「伊万里柄」の項目のあるものも買っていたのですが、
柄も違うし、色も違うし、雰囲気も違うし、
どう見ても「伊万里」じゃなかったんですよね。
あのデザイナーさんは、伊万里を知らない人だったのかな。

どの子がお好み

春コミの新刊のおまけで、栞を作っておりました。
自宅のプリンターで印刷した、簡単なちゃっちいものです。
本屋さんで文庫本を買うと挟んである、そのノリなのだな。

ファイル 1156-1.jpg

左から裏側、表紙候補だったけど没った古伊万里風菊皿、
去年の夏の旅行で購入したバタフライハンドルの伊万里ティーカップ、
フラワーハンドルのオールドノリタケ但しグレードの低いチカラマチ、
ドイツ旅行で購入した多分マイセンでのみ販売しているマイセンマグ、です。
どれも私物。表紙に使ったボンボニエールだけ、今回用に購入しました。
四種をランダムに挟んでいるので、どれが当たるかはお楽しみ。
写真自体はどれも気に入っていたので、ついでにポストカードも作成。
有効活用です。貧乏性とも言います。いつも心に勿体無いスピリッツ。

最初はこの四種の写真を組み合わせた表紙を作ろうとも考えておりましたが、
難易度高そうだったのでやめました。多分、やめて正解だったと思う。

使い方忘れそう

今年に入って、一度もサイト更新していなかった事実にびっくり。
そうですよね、確かにオフ本につきっきりでしたな。

本文のサンプルとして、最初の序章を公開しようとしたのですが、
肝心のギル桜&菊ユールがちっとも出て来ないんですよね。
慌てて、一部抜粋して追加しましたが、これで判りやすくなったかな?
一応、1:3:3ぐらい? の割合で、普日:ギル桜:菊ユールです。
ぱっと見て、まんま文庫本を目指しました。普通に本棚に置けそう?
前回の発行物と比べ、ちょっとは進化したと思いますが……どうかしら。
あの時は、本気でフォトショの使い方が全く判らず、
デザインとかが全く判らず、発行することだけを考えていたからな。
今回も最初はかなり四苦八苦しておりましたが、
後半は画像をいじるのが結構楽しくなってきました。
そして、しょっちゅうパソの容量が足りずにストップしてました。

おまけ。没った方の表紙デザイン。かなり悩んだんですけどね。

ファイル 1147-1.jpg

写真は何かに利用するつもりです。

きっとしあわせ

大人と子供の小噺連作、これにて終了しました。
もともとブログの会話系小ネタにするつもりだったので、一話分が短めです。
もっとこう、産毛気味の髪の生えた後頭部がちょこんと並ぶ様子とか、
どうでもよさそうなちんまりした所が変に気になる子供特有の拘りとか、
心臓が苦しくなるような愛くるしさを表現したかったのですけどね。
でもこの手の話は、あんまりだらだらするとお腹一杯になりそうなので、
長さ的にも、本数的にも、ネタのバランス的にも、これで丁度良かったのかな。
日々精進。次に生かします。<また子供ネタ書く気か

お察しされた方もいらっしゃると思いますが、勿論姉夫婦宅がネタ元。
マンションのお隣に、甥っ子ちゃんと同じ年の女の子がいると聞いてだな。
ちびっこ二人が保育園から、小学校、中学校、高校、
そして伝説になるまで……の電波を受信したのですが、
程々にしないと現行の話が全然終わらないので、ここは自粛の方向で。
でも、下品で馬鹿で無敵で「ちょっともー男子ー」な小学生ギルは、
余力が出来たら是非とも書いてみたいですな。
自分が書く大人しめの女の子は、一歩間違えれば嫌な女になりがちなので、
桜ちゃんには非常に気を使います。女の子、難しいよう。

相変わらず人様の萌えから外しておりますが、書いてて楽しかったです。
良いよ、この四つ巴。同士、常時募集しております。

明らかな間違い

現行連載のすんげえ赤っ恥な間違いを教えて頂き、こそっと修正したりして。
うひー、こっぱずかしいなあ、もう///
パソコン横に資料として置いてある「るるぶ ドイツ」や「旅の会話ドイツ編」は、
全く意味を成していないと判りました。それ以前の問題かも。

この手の話はだらだら書くとお腹一杯になりそうなので、
コンパクトに! 短く! を念頭に進めておりますが、なかなか難しいですな。
最初はブログ掲載用の、会話系小ネタに留めるつもりだったんですけどね。
突然物書きの神様が降りてきたので勢いのままに消化しておりますが、
早く「黒鷲~」に戻る為にも、とっとと書き進めたいです。
この更新速度、いつまで持つかなあ。
そして菊ユール姐さん、もっと増えないかなあ……。

見やすくしたい

サイトの小噺の目次ページが、微妙に見難いですね。
シリーズ別にちょっと整理した方が良いかな?
というか、こんなにシリーズを増やすつもりはなかったのにな。

それにしても、ヘタサイト開設当初から、
取り扱い傾向がどんどん変わっているような気がします。
逆カプやにょたが苦手な方には、非常に申し訳ないです。

おまけ、「京の都~」の没ネタ

◆ 京都の大学 ◆
立地場所のモデルにさせて頂いた、日本で二番目に創立された某大学。
「自由の学風」が謳われ、
「折田先生像」もしくは「11月祭・スローガン」で検索すると、
その熱き理念の一端が垣間見えるかと。

こちらの文章を最後に加えるつもりでしたが、かなり悩んだ結果、
あんまり大学を固定しない方が良いかなーと、没にしました。

文章とは何ぞや

ふと、考える。
文章の読みやすさとは、なんぞや。

あれ、フォントが違うのか?と思うくらい、
読み易い文体の方が時々いらっしゃいますが、あれって不思議ですね。
違いは何なんだろう?韻を踏んでいるから?リズム?
漢字の使い方?句読点?相性?はてさて??

基本的に、自分が書いてて一番気をつけるものの一つが、「読み易さ」です。
こう、飛ばし読みをさせないような、自然に視線を促されるような、
続きが気になるような、そんな文章を目指しております。
目指しております。<強調<書けているかどうかは、また別の話でござる
難しいのとか、文学的なのとか、感動ものとかは、自分には無理。
適材適所。相応の余所様にお任せ致します。

まあ、自分の文章を見ると、所謂文章ルールも文法もかなり適当。
ここを変えるだけでも読み易さは違ってくるのでしょうね。
一度、きちんと勉強したいです。
ただ、本当に文章が巧い人は、ルールも理屈もとっぱらっちゃうんだよな。
つまりは、それが才能。才能、何処に落ちていますか?

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