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その手を掴んで

8月のお題、「夏祭り」より、小噺。

ジャンル違い、要注意。
以下、悟チチ小噺です。



櫓を建て、飾り付けをし、出店の準備をして、夏祭りはささやかに、和やかに催された。
都から離れた田舎だけに、住民の殆どが高齢者の村である。
そんな中、体力のある若い力持ちは、随分重宝された。
大食漢の胃袋を支えた料理の腕は、酷く喜ばれた。
新参者の新米夫婦が、この村に受け入れて貰えたのだと実感できて、嬉しかった。
生活をするこの場所で、皆の役に立てた事が、必要とされた事が、誇らしかった。

「夏祭りなんて、オラ初めてだったぞ。すげえ、楽しかったな」
祭りの終わった帰り道、そう言って夫は無邪気に笑った。

通常人が生活を営む中どうしても何ら形で社会や地域に関わりを持つ。
しかし彼には、生まれた時からそれがなかった。
祖父亡き後は一人で、山を出た後は、そのまま修行三昧の生き方をしてきた彼だ。
それが悪いとは思わないが、酷く寂しい生き方だ、と思えた。
確かに夫は、普通では考えられないような経験もしている。
生死を渡り合った、真の友達がいる事は知っている。
その力が神さえも超え、世に尊ばれる事も知っている。
だけど、この人には「根」が無い。
浮いているのだ。

夏祭りなんて、田舎でも都会でも、何処でだってある。
でも多分、夫が知らないのは夏祭りだけで無い。
自分は、ささやかでごく普通の経験を、当たり前に親が与えてくれた。
しかしそんな時、彼は黙々と肉体を鍛える事だけに、全てを費やしてきたのだ。
ただ一人、この世の「当たり前」さえ知らず。
誰かに何かを与える事も、与えられる事も、日常の中で必要とされる事も無く。

「なあ、悟空さ」
「ん?」
「来年も、再来年も、その先も、また一緒に夏祭りに参加しような」
「ああ、そうだな」
自分は、彼を繋ぎ止める、杭にならなくてはいけない。
今はもう、世の中は平和になったのだ。
彼が犠牲となり、たった一人で世界を背負う必要はない。
ふわふわと浮いてしまう彼の腕を、人として生きる為に、繋ぎ止めなくてはいけない。
「来年の夏祭りも、楽しみだな」
当たり前の幸せを与える事が出来るのは、彼にとっての家族である、自分なのだ。



走り書き。
生物学的に、人間は群を成す動物だそうです。単体では生き残れない。
もっときちんと練って、形にしたいエピソードの一つ。

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