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壊れて消えた

8月のお題、「鬼灯」「夏祭り」「シャボン玉」より、小噺。

ジャンル違い、要注意。
以下、楊太小噺です。



「ただいま、師叔」
「お帰り、楊ぜん」

最近、帰宅がやたら早くなった。残業は極力避け、帰宅途中に近所のスーパーに寄るのも忘れない。同僚に気味悪がられるほど、規則正しく毎日まっすぐ家に帰る。
理由は、彼だ。
「のうのう、桃は買ってきたのか」
「ありますよ、はい、師叔」
買い物袋から取り出すそれを差し出すと、彼は実に嬉しそうに笑う。
テーブルに乗り上がり、自分の頭よりも大きなそれを、両手で抱えるように抱きしめて頬擦りした。

師叔は、何の気なしに買った、鬼灯の実から出てきた。
小憎たらしくて、口が悪くて、我儘で、食いしん坊で、気まぐれで、そしてとても可愛い。
彼のお陰で、味気の無かった毎日が、酷く楽しく思えるようになった。
それは、どれを取ってもさり気無いものばかりだけど…家に帰ると電気が付いていたり、面白い映画を見て感想を言い合ったり、美味しい料理を分け合ったり、声をかけると返事が返されたり…でも、どれも今までの自分の生活には、欠けていたものであった。
どうやら自分は、自分が自覚していたよりも、一人の生活が寂しかったらしい。
彼にそれを知らされるまで、全く気付かなかった事だけど。

「む、何だこれは」
スーパーの袋の奥に押し込まれていた、それに気が付いたようだ。
大好きな桃を隣に置くと、よいしょと身を乗り出し、袋の中へと頭を潜り込ませる。取り出したのは、瓶を形取った、極彩色の安っぽいプラスチックケース。子供用の玩具のシャボン玉だ。
昔懐かしいそれに、ほお、と師叔は目を瞬かせた。

庭に面した窓を開け、ケースの蓋を開けると、付属のストローを差し込んで。
「はい、どうぞ」
支えてますけど、大丈夫ですか?
「うむ」
子供用のストローも、小さな彼には頬張る程に大きい。大口を開けて咥えると、師叔は思い切り息を吹きかけた。
ストローの先からは、オーロラ色のシャボン玉が、無数に宙へと吹き飛ばされる。黄昏空の色をそのまま映し出した儚い半透明の球体は、ふわりふわりと夏の庭を漂った。
「綺麗だのう」
「そうですね」
いつも利用している駅前スーパーは、只今絶賛夏祭りキャンペーンの真っ最中だ。そのくじ引きに参加したのだが。
「参加賞は、これだったのか?」
「一等は南の島の旅行券で、二等は高級桃の詰め合わせだったんですけどね」
結構狙っていたのに、残念です。
「お主のくじ運も、随分乏しいのう」
かかか、と笑う師叔に、わざとらしく目を見開く。
「僕、くじ運は良いんですよ。もの凄くね」
「これでか?」
「だって、ほら」
つん、と指先で小さな鼻先をつついてやる。
「僕のくじ運って、最高じゃないですか」
何と言っても、ここに貴方がいるんですから。あんなに沢山の鬼灯があった中から、貴方を当てたんですよ。
にっこりと優しく笑うと、師叔はじいっと見上げてきた。
そして、はっと思い出した様に我に返ると、落ち着きなく視線を動かし、もごもごと口の中で何かを言う。聞きとれない音量に、何ですか?と顔を寄せると。
「だったら、わしの方がくじ運が良いのだっ」
あれだけ沢山の人の中から、お主に当たったのだからのう。
怒ったようにそう言うと、誤魔化す様にシャボン玉のストローを頬張った。
真っ赤に膨れた師叔の頬は、ほんのり朱い。成程、やっぱり、彼は鬼灯の精かも知れないな。だってその色は、夕焼けよりも、熟れた鬼灯の色に近いじゃないか。

彼の作るシャボン玉は、大きく膨らみ、宙へ漂い、そしてぱちんと跡形も無く消えた。
もうすぐ夏が終わる。
庭の隅には、枯れ始めた鬼灯の鉢植えが、静かに佇んでいた。



最初は「鬼灯」だけのつもりでした。

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